初カイロ

初めて、カイロ・プラクティックを受ける。
5月の連休の帰省中、家族がふだん通っているカイロ・プラクティックの予約をとってくれていた。
ほとんど知識もなく行ってみて、まずびっくりしたのが、施術台。
なぜこんな形状をしているのか?と、はてなマークが最初から最後まで浮かびっぱなしだった。
頭部を乗せる部分が、円柱型のシートがふたつ並んでいる形状なのよ。
台全体の幅は、ものすごく狭くて、ヘタすると両腕をのせるスペースがない。
身体を乗せる部分は、片方だけシートを浮かせることができたりして。
背骨にそって、なにか道具を使って、パチン、パチンとはじかれたりして。
この施術は、どんな意味があるのだろう?と不思議で不思議で。
そして、首に対する指圧マッサージが、とにかく念入りだった。
首をこれだけじっくりと触ってくれるマッサージはあまり受けたことがない...。
私の背骨は若干左にずれていて、左の背中がコリやすく、骨盤が後傾しているので、左足のほうが長くなっている。
このズレや傾きを解消していくといいとのことだ。
帰宅して、死んだように眠った。
カイロ・プラクティックを検索してみると、アメリカ発祥の技術。
4年間のカイロプラクティック大学で履修を終えなくては、正規のカイロプラクターにはなれない。
履修内容は、WHOが認定した国際基準。
卒業までに300人以上の臨床実習が必要...。
欧米では大学が設立されているのがあたりまえだけれど、日本には大学が設立されておらず、同じWHO基準のカリキュラムの学校がひとつだけある。
不思議な施術台にも、不思議な施術にも、論理が潜んでいるのである。
でも価格は、ふつうのマッサージと同じくらいなのである。
きちんとした施術者であるかどうかさえ気をつければ、今後も利用できそうである。
帰省から戻って、さっそく勤務先近辺のカイロプラクティックを物色するのであった。

残業の申請は重要だった。

仕事環境について、労務環境について、他人を変えようとするのはむずかしいけれど、じぶんが変わればできることを発見すると、動きやすい、と気がついた。
もうひとつ、じぶんでできることを発見してしまった。
他人に言われて、突如気がついてしまった。
なんて単純なことだっただろう。
十年以上、じぶんでできることだったのに、一度もしたことがなかったこと。
それは、残業を申請して残業代をちゃんともらうこと。
そう、十年間、サービス残業していたのよ。
所属の事業部が赤字だったので、それが良かれとおもってそうしていた。
だけど。
社員が4名、派遣スタッフ6名でやっていた業務が、年々人が減らされ、仕事量はほとんど変わらず、いまや社員1名(ワタシ)、派遣スタッフ2名でやっているというありさまは。
なんだ、こいつ人員減らしても仕事こなせるじゃん、という誤解を、会社に与えていたのでは!
そのあげく、さらに今月から一割減給されるというありさまは。
このありさまで、残業代を申請しつづけないのは、あまりにもばかばかしいことだよ、という知人からの助言が響いた。
給与体系を決める人たちは、人事評価をする人たちは、いまや、現場のありさまを、人間のありさまをみない。
非言語領域は無視する。
数値だけを見て判断する。
苦しさやつらさやタイヘンさが、数値にあらわれていないんなら、問題はないと判断する。
それを逆手にとって、数値に表せばいいんだよ、という助言。
この場合の数値は、残業をしたならば、ちゃんとそれを申請すること。
残業時間という数値がそこに表れる。
残業の申請というのは、じぶんでできること。
もちろん、いままでの私のサービス残業時間からいって、申請しても減給分にはぜんぜん届かない。
でも、少しは助けになるはず。
じぶんができることは、すぐ足元に、ずっと以前から、あったんだ。
働くことが数値で判断される世界には、数値で表現する。数値でのりこえるんだ。

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さまざまな「すごい」

「すごい」がわかる分野は、人によってぜんぜん違う。
永遠にわからない「すごい」分野も、人によってぜんぜん違う。
「すごい」とわかってもらえなくても、じぶんが「すごい」とわかっていれば、物事はつづけられるだろうか。
永遠に「すごい」とわかってもらえないトップの下に、いるとしたら、どうだろうか。
「すごい」とわかってもらえることは、「評価される」ということだろうか。
評価されなかったら、じぶんはそれをやめるのか。
すごいとじぶんでわかっていたら、わかってくれる人がいたら、評価されなくても、つづけられるだろうか。
さまざまな「すごい」があって、人によってわかる、さまざまな「すごい」があって。
「すごいA」がわかる、ヤマダさんという社員がいて、「すごいB」がわかるサトウさんという社員がいて、社長さんは「すごいA」も「すごいB」も永遠にわからないけれど。
ヤマダさんやサトウさんの、「すごい」を聞いて、こういうのをすごいっていうのか、ふうん、と聞き入れてくれることが、現実味のある未来だろうか。

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映画とおべんとうと

冬が最後の力をふりしぼっているような低温の日曜日、映画「3月のライオン」を見に、六本木ヒルズへ。
しかし、映画が始まる前に「生活のたのしみ展」(byほぼ日)のショップに並んで、
「うめ酢ごはんの飯島べんとう」をゲット。
お昼ごはんに、おべんとうを食べるために、一度自宅に帰宅。
昔から知っているたべものたちが、丁寧につくられているおべんとう。
ごはん、もちもちでおいしー♪おかずも、むかしからある、すでに知っているはずのものばかりだけど、あらためて、ひとつひとつがおいしー♪
お昼を食べ終えて、また六本木ヒルズへ行き、映画を見る。
映画「3月のライオン」には、川本三姉妹のつくる手料理が、実写で再現されていて、その料理の雰囲気が、「うめ酢ごはんの飯島べんとう」にシンクロする。
映画に出てくるのは、たまごやきとか、野菜の煮しめとか、ごはんとか、いなりずりとか、エビフライとか、むかしからある、なじみのたべもの、味が想像できるもの。
想像できるからこそ、おいしい雰囲気が倍増する。
たべもののことばかりではなくて、映画そのものも、とてもいい感じだったのだ。
物語の内容は、ほぼ変えていないから、知っている物語のはずだけど、キャラひとりひとり、シーンひとつひとつが、おいしい。
映画とおべんとうと、おいしいシンクロを味わった一日、六本木ヒルズへ二回も往復するってなに?

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じぶんが味方

昨日から仕事面で、気が狂うかと思うような状態で、
将来の仕事面のことを考えても気が狂うかと思うような状態で。
でも、突然、解決策が見えた。
苦しかったのは、じぶん以外の人が動いてくれないと前に進めない状態だったから。
人が動くのを待っていても、あてにはできないんだ!と気がついた。
特に、上の地位の人が動いてくれるのを待つのは、さらにあてにできないんだと。
人を変えようとするのは無理、じぶんを変えたほうが早い。
人が動いてくれなくても、じぶんが動けばできることがある。
じぶんが動けばできる部分的なことがあることに気がついて、そこから変え始めてしまおう、と決心した。とたんにラクになった。
人が動くのを待たなくてもよくなったから。
人よりじぶん、じぶんを見つめて。じぶんをあてにして。

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蛇女的ヴィーナス

先週末のNHK日曜美術館」のテーマはルカス・クラーナハ
「ヴィーナス」の女体ヌードが、リアルな体型からわざとはずれ、デフォルメされていることについての、丁寧な説明に見入っていた。
胸が小さくて、腕が短くて、肩幅が狭くて、胴体と脚は長すぎて、
ひざ下はリアルより細く、太ももはリアルより太い。
肌の描き方も特徴があって、肌理が目立たないよう、なめらかさを強調する手法。
ルカス・クラーナハは生存中から大人気の画家で、クラーナハ工房のブランド印として、「冠をかぶった蛇のマーク」が作品下に描かれているとの説明に来て。
あれ?このヴィーナスはまさに、「冠をかぶった蛇」ではないか?と気づいた。
クラーナハの「ヴィーナス」はまとめ髪だ。
宝石で装飾されたヘアネットに髪を円形に収めている。
これ・・蛇の頭部のフォルムに似ている。
ヘアネットの宝石の装飾ぶりは、冠っぽいし。
このヴィーナスの裸体は、蛇にデフォルメしたんじゃないかな。
腕を短く、胸を小さくしたのは、凹凸をできるだけ目立たなくして、身体全体を同じ太さになるように近づけて、頭のかたちも蛇の丸い頭部に近づけるためには、あの円形ヘアネットしかない。垂れ髪なんてとんでもない。
ぬらぬらとした肌の質感を追求したのも、そういう肌のほうが爬虫類的だし。
クラーナハは、ヴィーナスに蛇を宿らせたんじゃないかなあ。
「ヴィーナス」と「蛇」の組み合わせが、デフォルメの骨なんだ・・・。
組み合わせの妙についても、考えさせられてしまう、クラーナハのヴィーナス。

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「君の名は。」効果

君の名は。」効果で、組紐が人気、というニュースが嬉しい。
着物のお太鼓帯を支えることができるかどうかは、組紐1本の力にかかっている。
重量も、かさもある帯を、紐1本で支え、着物全体のコーデも引き締める力を持つ、要の存在が組紐
その強さのモトは、材質である絹100%の強さと、手作りで組む構造の強さだと思う。
工芸品として、いい品なのだよ。間違いなく。
だから、けっこう値がはるといえばはるアイテムなのだ。
組紐1本で、洋服が一着買えるかもしれない価格である。長さもあるしね。
着物雑誌では、なんとか組紐の用途を広げられないか、いろいろ模索している努力がにじんでいる記事をしばしば見かけた。
組紐でつくった帯留」は、まだいいにしても、
組紐でつくったコースター」は、コースターってつまり敷物だから、敷物にするには申し訳ないんじゃないか?といぶかしく思ったり、さらに、
「愛犬に、組紐でつくったリード」には、リードをつけた柴犬モデルは、めちゃんこかわいかったけれど、組紐つくった人の気持ちは、微妙なんじゃないか?と思ったり。
君の名は。」で登場した、「組紐でつくったブレスレット」とか、「組紐リボン」は、とてもほっとする、無理のない、組紐のつかいかたである。
組紐が、洋服の世界で、居場所をみつけたね、って感じである。
人を飾るために生まれた。人を美しくするために生まれた。
それが組紐の出自のはず。

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