チャップリンとヒトラー

チャップリンヒトラーは、同じ年の同じ月、4日違いの生まれ。
チャップリンヒトラー メディアとイメージの世界対戦」(大野裕之:著)を読んで、ふたりの人生の概略をたどって、思った。
ヒトラーは、自分の言葉の開放ができたときから、独裁者としての道が始まった。
チャップリンは、自分の言葉を封印することで、スターの道が始まった。
チャップリンの最初のキャリアは、無声映画のスターだから。
音声がない、セリフがない、言葉を使わず、動作だけで、表情だけで、どこまで、人間を表現できるか。
どこまで言葉の封印ができるか。
それができると、言葉に頼らない表現力が身につく。
ヒトラーが、自分の言葉の力を圧倒的な武器にできたのは、音声の録音と流布ができる機器が誕生したことも大きかった。
チャップリンが役者のキャリアをスタートしていたのが、映画が音声を持つ時代になった後ならば、どうなっていただろうか。
言葉に頼る役者になっていなかっただろうか。
もともと、頭のいい人は、身体の力より言葉の力を増大させるほうが、ずっとラクなはずだ。
もともと、チャップリンも、言葉に関する圧倒的な才能を持っていたはずだ。
でも、まず、言葉の力より、身体の力で、ステージに立った。
自分が何と出会うか、自分に潜む力との距離をどのように保つか。
チャップリンヒトラーを比較してみないと、こういう点に目がひらかなかったなあ、と気づく。