お金を使わないと、何も残らない

とつぜん、タイトルの言葉が浮かんだ。
お金を使わないと、お金が残る。
お金は、「何か」の引換券となるもの。
「何か」と引き換えていないのなら、そこには何もないということ。
「何か」は、不可視のモノからもしれないし、可視のモノかもしれない。
「何か」は、ずっと残っているものではなく、飽きたり、捨ててしまったりするかもしれない。
でも「何か」があった経験が残る。
「何か」の経験を通り過ぎた人間がそこにある。
仕事の面でも、プライベートの面でも、さまざまな経験を通り過ぎてきた固体は、いとおしいと思う。
お金を「何か」と引き換えるときの、選択眼。ものさし。価値観。センス。
それは、経験から生まれてくるもの。
経験がないと、お金が基準になる。
つまり、価格・割引率などの「お金の顔」が、ものさしになりがちになる。
引き換える「何かの顔」ではなく、「お金の顔」を見て、選ぶことになる。
「お金の顔」は、見えやすいし、わかりやすい。
「お金の顔」を見ていると、引き換えたい「何かの顔」が見えない。
散財がいいわけでも、高価格のものがいいわけでもない。
(散財も高価格も、お金の顔を見ているということではないか?)
未来に「何か」と引き換えるために、お金を残しておくのも自然なこと。
でもお金の顔だけを見ていないように気をつけたい。
それは仮面。仮面の向こう側には、「お金」じゃなくて「何か」がある。