人の好みを笑うな

誰かに対して、「ひっかかり」を感じはじめることがある。
あれ?という違和感のカケラが、ひゅっと飛んできて傷つく感じ。
そのカケラは、誰かの、根性、性根、根っこのぶぶんから生まれているような感じで。
つまり、よほどの大転換がないかぎりは、なくなるものでも、変化するものでも、なさそうなぶぶん。
そのひっかかりのカケラを投げてくる誰かが、仕事などの、パブリックな人間関係であれば、受け流せる。
そういうカケラを持っている人として、パブリックな関係を、必要な期間だけ、保てるように割り切る。
だって、パブリックな人間関係は、じぶんで決めた人間関係ではない。
でも、プライベートな人間関係は、じぶんで決める人間関係である。
(家族などのドメスティックな人間関係はまた別。)
パブリックではなくて、プライベートな人間関係だから、じぶんで決められる。関係を断ってもいい。
わたしがいま勉強していることは、社会的な地位が高いものとはいえない。経済的な効率だって悪い。
でも、理解するのにはけっこうな知力が必要で、人を鑑定できるほどの知力に達するまでは最低四年かかる学問。
そういう点をまったく知らないままに、社会的な地位が低いというイメージをまず先入観で固定したうえで、四年もかかる上に、時給も低いですね〜好きじゃなきゃできないですね〜、と言いつつ、でもじぶんに対する情報は欲しがる。
でも、対価を支払うレベルの情報だとは考えていない。たぶんこれからも。
時間当たりの収入額と、社会的地位の高低が、その人が尊敬する判断基準だから、それを得るべく大変な努力をしている人。
その人の尊敬対象外の内容にむかって努力しているわたしは、その人と会うだけで、傷つきそうである。
プライベートな関係はじぶんで決めていい、とじぶんに言い聞かせる。
誰かが何かを大切に思っている、何かが大好きという気持ち、その何かがなんであっても、まったく理解できなくても、誰かの思いや気持ちを傷つけてはいけないと、じぶんに言い聞かせる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もうひとつのブログはこちらです。
http://kigakunomori.hatenablog.com/