不幸なんだ。

常々、思っていた。
すずめと違って、カラスと鳩が圧倒的に嫌われるのは、鳴き声のせいなんじゃないかって。
カラスと鳩がちゅんちゅんって鳴いたら、まだ嫌われ度が薄まったのではないかって。
以前、それを友人に話したとき、
「カラスと鳩って、鳴き声も嫌だけど、見た目も、やることも、すべてが嫌だよ。」
と述べていたっけ。
何が言いたいのかというと「鳴き声が嫌」ってことは、人間にも言えるんじゃないかということ。
人間同士が一緒にすごす場では、嫌いなビジュアルより、嫌いな声のほうがストレス。
声そのものの好悪というわけじゃない。
老若男女、みなにマイナスなイメージを与える声は、声質というより、話し方とか声にこもる感情とかトーンだ。
日常モードの声が、とげとげしい、いらだった、攻撃的な感じな人。
そういう類の声は、生物的にみんな嫌だよね。
私は数年前、隣の席に座っている人がそういう声の人だったので、しかもひとりごとがめちゃめちゃ多い人だったので、毎日、声が耳にはいってくるだけで、自分の気力が磨耗していくのを感じた。
もう耐えられない、と、薬局で売っている耳栓を買って、耳栓をして仕事をしていた。
そのことを知った上司が、何とかせねば、とあせって、席替えをしてくれたのだが、その人の話し方は、カラスと鳩の鳴き声のように、ほぼ万人にストレスを与えていたと思う。
ビジュアルの問題は、見なければいいけど、声は止めようがなく、耳に入ってくるから…。
だから、ストレスを与える話し方をしている人は、それだけで、他の人に避けられると思う。
それで。
前記とは別の、ストレスフルな声の人がいて。
たまにその人から電話がかかってくるたびに、ほんの短い電話でも、とげとげしさと苛立ちのマイナスパワーを浴びて私は消耗していたんだが。
来月の席替えで、その人が私が座っているシマに来たがっているんですけど…と、新上司から打診があって。
なんでまた私のそばにーっ!?とばかりに驚いて、露骨に新上司に、断ってください!と拒否したのだった。
だって、声が聞こえてくるだけでストレスなんだもん。
私だけじゃなくて、たぶんシマのみんなもストレスを与えられるし。
なんであの人の話し方って、ああなんだろうなあ、と考えていて。
突如、答えが浮かんだ。
不幸なんだ。
少なくとも、幸せには思えない。
ちなみに、私の勤務先では六十歳が定年、本人の希望に応じて、六十五歳まで、雇用形態を変えて継続雇用制度があるが。
男性の場合、九割が継続を希望する。
先月、六十五歳で、突如亡くなってしまった継続雇用社員もいるからにして、もしかしたら残された時間の終わりが近いかもしれないんだから、自分の好きなことに時間を使えばいいのに…とひそかに思うんだけど。
どうやら、家庭にいたくない、家庭にいられない、居場所がない、って人が多いみたい。
家庭にいるよりは、毎日会社という行き場があるほうがラク、って人が多いみたい。
はー…そうなんですか。
ストレスフルな声の人も、私の上司の話によれば、家に居たくないから、会社に来ているだけだ、って言ってたよ、とのことだった。通勤時間が、片道2時間かかるにもかかわらず。
たぶん家庭で、幸せというより不幸に近い状態にあると思われる…。
でも不幸のいらだちを会社の人にぶつけないでほしいな…いや、そういう「ぶつけ所」や「消化方法」が家庭にはないけど、会社にはあるのが、救いなのか。
そういう人こそ、生身の人間ではなく、ネットを「ぶつけ所」と「消化方法」にしてくれないかなあ?
いくらでもネットで毒を吐きなよ〜不幸な声をなまで聞かされるよりもずっと、人に与えるダメージの度合いは圧倒的に少ないから…。