アクセサリーからの解放

昨夜、NHKの青木定治のお菓子づくりの番組で、動いている中山美穂を久しぶりに見る。
イメージコンサルティングを受けたとき、コンサルタントの先生から、中山美穂はグレースタイプと教わった。
番組での服装は、グレイッシュな水色のシャツ。
この色合いは、たぶん夏タイプだ。
そういえば先生がブログで、海外に旅行すると、国によって、服の色合いにも特徴があって、パリには夏の色合いの服が多数そろっている、パリの空の色は、まさに「夏」タイプの水色、と記していたっけ。
中山美穂はパリ在住だから、幸運にも、夏の色合いの服を揃えるのに便利な土地が「地元」ということになるなあ。
彼女が着ていたシャツは、正統派なグレースタイプの装い。
たぶん、すご〜く上質なシャツなんだろうなあ。
シャツ一枚で決まる女性に、私もなりたいものだ。
ただ、中山美穂のシャツ姿で、ひとつ異質な感じを放っていたものがあった。
胸元にのぞく、三連の、複数パールと鎖をつないだネックレスである。
このネックレス、目立ちすぎる。
ネックレスそのものは、上品かつゴージャスで素敵なんだけど。
せめて一連とか、一粒パールとか、いっそネックレス自体つけないほうが、彼女とシャツの美しさが際だつ気がする。
グレースタイプは、アクセサリーはつけないか、数においても石のサイズにおいても最小限に、と教わったことを実感。
そのことを知ったとき、ものぐさな私は、じゃ、アクセサリーを探さなくても買わなくてもいいんだ!という、開放感と嬉しさに浸ったものだった。
物欲との戦いの状態って、欲しいものが手に入らなくて苦しむ、のが基本形だと思う。
でも私は、ここ一年くらい、欲しいと思っていたものが、欲しくなくなった瞬間に到来する、開放感の快感が大きい。
それがどういう瞬間かっていうと、いたって平凡なのだが。
ネットで見かけて、欲しい欲しいと思っていた品が、実物を見たら期待したほどではなかったときとか、実物で見かけても、試着してみたら似合わなかったとか。
欲しいものが手に入ったときの快感より、欲しいものが欲しくなくなったときの快感のほうが大きい理由。
もしかして、持続時間かなあ。
欲しいものが手に入ったときの快感って、手に入って、使用開始したら、快感度は次第にすり減っていくと思う。
欲しいものが欲しくなくなったときって、囚われからの解放であって、そのアイテムからは永遠に自由になったってことだから。