年寄りを嗤うな

若者を怒るな、自分の来た道だ。
年寄りを嗤うな、自分の行く道だ。
このふたつを、ときおり自分に言い聞かせているが。
前者は「若者」、後者は「年寄り」でスタートするけれど。
自分への効果は、そのイメージと逆になる。
若者に怒っちゃいけない、と思うのは、抑制の働き。自分に、動より静を強いる感じ。
でも、年寄りを嗤っちゃいけない、と思ったときは、自分に静より動を促す、ポジティブなベクトルが伸びる感じ。
前者は過去で、後者は未来だからかなあ。まだ自分に修正がきくから。
嗤う前に自分ゴトとして対策を打て、って方向になるの。
自宅の近所は、高級住宅街もあれば、歴史の古い都営住宅もあり、年寄りのあり方の差の激しさに遭遇することがある。
クロコダイル革のローファーを履いて歩いているおばあさまもいる一方で、ちょっと異様なかっこうで(白髪のロングヘアにタンクトップとミニスカートとか)往来に座ってコンビニ弁当を食べながらひとりごとを続けているおばあさまも見かける。(ひとりごとは認知症の前兆なのだ・・・)
「待ち合わせている友達に電話をかけたいので百円貸してください」と声をかけてきたおばあさまもいた。私の携帯を貸しましょうか?と言うと、いえ、いえ、という返答だったので、おそらく電話という理由はうそで、ただ小銭が欲しいんだ、とぴんときた。百円玉がなかったので千円札をコンビニで両替しておばあさまに三百円渡した。(両替を終えたところで、要望の金額が当初の百円ではなく三百円に変わったのだった)
おばあさまの態度におどおどしたところは全くなく、むしろ堂々としていた。
こういう場合、小銭を渡すほうも、貸すのではなく、あげていると分かっている。
それに、私がこどもの頃、同じシチュエーションに遭遇した親の姿は何度か見たことがあったけれども、大人になった自分自身が同様の状況に遭遇したのは初めてだったので、まだこういうことが起こる時代なのか、と新鮮に思った。
ゆくゆく年寄りになるにあたり、クロコダイルのローファーは履けなくても、通りすがりの人に小銭をもらわずにすむある程度の経済力かコミュニティか、通りすがりの人に小銭をもらう心の強さを持てるようになるかだな。
他にいくつか、おばあさまがキーとなった行動があって。
そのひとつは、唐突だが年に一度の換気扇(レンジフード型)掃除である、はは。
六年前に現住所に引っ越して以来、毎年9月中の休日のどこかで換気扇掃除をする!と自分に課している。
なんで9月かというと、祝日が二回あるからチャンス日が多いのと、水仕事がきつくなく、エアコンなしで耐えられる気温だから。エアコンがかかった室内で換気扇掃除ってなんかイヤだったの。
掃除にトライする前、ファミリー世帯の友人にどうしてる?と聞くと、え?業者に頼んでるよ〜という返答だったのだが、内容を調べると、換気扇掃除って、所要時間が二時間ほどもあり、そのうち水の漬け込み時間が1時間弱、とあったので、ファミリー世帯ならともかく、ほぼワンルームマンションに等しいひとりぐらし世帯に2時間、他人を入れて、そのうち1時間は漬け込みの待機時間というのは、なんだか気がすすまない・・・。自分でやるしかないかな・・・とウェブで掃除方法を調べていたら。
73歳のおばあさまが綴っているブログで、私は換気扇掃除が大好き、という記事に行き当たる。
レンジフードからファンと板とその他をとりはずし、重曹を溶かした水に漬け込み、干し、またとりつけるという工程をおばあさまがひとりでこなす。しかもそれが大好き? 偏見かもしれないが、73歳のおばあさまに出来て、私に出来ないはずはない、と発奮した。
レンジフードのメーカーの説明書をひっぱりだして、解体の手順を読んで、挑戦。
途中で、想定外の事態はあったものの(ファンの巨大なネジが油分ですべって回らない、でもうちにはペンチがない、だが左右の手にそれぞれふきんを巻いてみたら、すべり止めになって無事にネジが回った、とか)最後の取り付け終わりまで、こなすことができた、きゃー、うれしー、私にもできる!
...というわけで、毎年9月に換気扇掃除を実行してきたものの、今年の9月はQOLの低い悪体調のため、億劫で仕方がなかったが、でもがんばって実行したぞ。
換気扇は、ちまたで売っている使い捨てのカバーをかけておくと、95%くらいファンそのものに汚れが及ぶのを防いでくれる。
今年はまずカバーをとりはずしたとき、そのカバー自体の油汚れが凄かったので、この一年は、炒め物をたっぷりやっちゃった結果かな・・・と推測。
もし、できるだけ油を使わないようにしたら、一年後どんな感じになるんだろう?
炒め物(揚げ物はやらないので)をできるだけ避けたら?とふと思う。
よし、試してみよう。これに絡んで思ったことがもうひとつあった。
つづく。