舞台と客席

前記事のつづき。
換気扇掃除時に、もしもこれから炒め物をできるだけ避けてみたら?と思ったことに派生して。
私「客席にいること」をできるだけ避けてみようかな・・・とも、思った。
自分の時間を使えるときは「自分が客席に座るもの」をできるだけ避けるようにして「自分が舞台にいるもの」を、選ぶようにする。「舞台」というのは、「舞台裏」も含むのだけど。
なんで炒め物→客席、につながったのか自分でもよくわからない発想経路をたどると。
ずいぶんさかのぼるが小学校卒業時に、担任の先生がクラス全員ひとりひとりに違う言葉を書いてくれて、私に送られた言葉は確か2センテンスあり、そのうちの1センテンスは忘れてしまったが、もう1センテンスがいまだに記憶にある。
それは「人のふり見て我が身を直せ」というもの。
ときどきこのセンテンスが、ささいなことで自分に作用してくる。
たとえば、二十年以上ものあいだ、自分の財布はコンパクトさを重視して三つ折財布だったんだけど、一昨年のこと、勤務先の近所に新規オープンした銀だこに並んでいたところ、先に並んでいた女の子が支払いに取り出した財布が三つ折だった。お札入れ部分を開けてお札を取り出し、一度たたんでくるんとひっくり返して反対側の小銭入れ部分の止め口を開けて小銭を取り出し...というお金を取り出すまでの様子を見ていて、思った。
お金を取り出すまでの工程が多いのって、美しくないなあ。
なるべく工程が少ないほうが、美しい。
というわけで、今持っているのは二つ折財布。あの一瞬で、二十年以上続いた習慣を変えたのだから、あっけないもんだ、私のこだわりなんて。
「客席を避ける」という発想も、他人を見て、我が身を省みちゃった効果なのである、たぶん。
世の中には、自分が行為者にならなくても、鑑賞しているだけで楽しいものがいっぱい溢れている。
鑑賞者であれば、客席にいれば、自分の手が汚れることもなく、傷つくこともない。
他者の評価の目にさらされ、恥をかいたり、傷つくリスクを負うのは舞台側の人間。
何かを鑑賞して、それについての感想や考えをウェブ上で発表することは、評価にさらされ、恥をかくリスクも負っているから、そうすることで客席から舞台上にシフトできているかもしれない。
ただ、そればっかりでもまずいよなあ・・・。
文章を書くことはそれだけで達成感があり、ましてそれがウェブ上に書き込めて他者の目に触れるのだから、ブログなりツイッターなりで、文章を書き上げるだけでも、満足感がある。
それにはまってしまうと、この先もそのままになりそうな気がする。...ということを、友人のひとりから、自分を省みて気が付いたのだった。いや、もちろん、ディープで博識な鑑賞者というだけで素晴らしいし、それをまっとうしつづけるのも個人の自由だし。
私はちょっとバランスがとりたくなっただけかもしれない。
自分に不足気味な方向を感じて、バランスの悪さを補いたくなっただけなのかもしれない。
鑑賞者100%のスタンスがその人のベストバランスだったら、それでいいのだ。
それと、服装について考えるようになって、ひいてはきものを着るようになって、人目にさらされて恥をかくこと、を続けているうちに、ヘンな度胸がついてきたのかもしれないとも思う。
恥をかくのを前提、自分の無力感を思い知らされる前提で、できるだけ鑑賞側ではなく、当事者側で自分の時間をすごす・・・。
さてどうしよう?と思って、先だっての三連休は、突如、「100 Makers' Open Base」で、ものづくりワークショップに参加してみる。二箇所のワークショップで、開催者に教わりながら、ストールピンと、帯留を作成。
自分の不器用っぷりに赤面しながらも、私はハンドメイドものに超無縁だったので、これだけでもなんだかすごく達成感。
それと、ハンドメイドの世界の人たちって、繊細な雰囲気だなあ。
それぞれ自分の好きなワークの種類があるみたいで、ストールピンを教えてくれた人は、本当はワイヤーを巻きつけるワイヤーワークを使ったアクセサリーが得意だと言っていた。そのせいか、教わったストールピンは、テグス糸を巻き巻きしてコットンパールをつなぎとめる手法で、「テグスは巻けば巻くほど固く強くなるんです」の指導通り、強固になっていくのが面白し。
開催場所のMakers'Baseは、もともと会員制の工房で、木工機器や金光機器に加えて、デジタル機器(3Dスキャナーや3Dプリンターも)の設備あり。私の知らない世界だ〜と行っただけでうきうき。作ってうきうき。
自分でもヘンな女だと思う・・・。