家康は遠く

先月中旬に、坂道を上っていたら、途中で突如ものすごく息苦しくなって、それでも上りきって、駅に到着して、電車にのりこんだけど、まだ呼吸の苦しさがおさまらない。駅の階段を上るときも、すごく息苦しい。まさか肺気胸が再発したのかも!と怯える。
なぜ怯えるかというと、肺気胸は、特に理由がないのに肺に穴が開いて、肺の空気が抜けて小さくしぼむと、心臓の位置がズレて、脳に血液が送り出せなくなって、死ぬから。
さすがにそれは生命の緊急事態なので、おまえ、今のうちに何とか手を打てよ!って身体が私に知らせるために、すごく痛くなるか、苦しくなるわけ。
経験上、そうなってからでも、48時間くらいは、まだだいじょうぶなハズ。
それに、以前手術に至ったときは、たった一歩、前に進むのも死に物狂いという状態だったけど、今回はそこまでではない。
というわけでその日は日曜日だったので、とにかく早寝して、翌朝、一番近い病院にレントゲンをとりにいく。
どきどきしながら待って、診断結果を聞くと。
「右肺も左肺も異常なし。だから肺気胸ではなく心臓のほうが原因かも。心電図とっておきますか?」
という結果に。肺気胸じゃなかったら、緊急性は全くナシだ、良かった〜っ(喜)
心電図も一応異常なし。あの異常な息苦しさはなんだったのだろうと思ったけれど、とりあえずほっとする。…が、しばらく急坂や急階段が恐怖なのでなるべく避けることにする。
その後も、そんな息苦しさはまったく起こらなかった。
しかし、先日、日光東照宮で。
たいていの昇り階段をクリアし、三猿だの、鳴龍だのを楽しみ、うわさどおりキュートな眠り猫の下を通って、徳川家康墓所に向かう階段を上り始めると。
…まずい。と予感が襲ってきた。このまま階段を上り続けたら、危ない。
い、家康公、貴殿はなぜ、そのような高みに眠っていらっしゃるので?
と、心中で呪いながら、階段をひきかえす。
いまどきは、有名な山とか滝とかには、ある程度の地点まではエレベーターが設置されているけれど、まさか家康公の墓所用にエレベーター設置案は、恐れ多くて却下なんだろうなあ。
全体図を見ると、私、階段全体の、最初の2割地点で挫折したのね。
家康といえば。
友人から聞かされた話では、親の名前から字をとって、こどもの名前をつけると、そのこどもは、長じて親以上の人間になれない、という説があるそうな。
友人がその説を知ったのは、初めて生んだ息子に、父親の名前から一字とった名をつけてしまった後だったとのこと。早く言ってくれよ〜と思ったって。
その説が嘘か本当かさだかではないが、家康の後継者って、ほとんど「家」つきの名前じゃなかった?
「家X」や「X家」は、家康以上の人物にはなれないってことじゃん。
あ、吉宗はちがうか。
それと、徳川の治世にピリオドを打つという、家康に対して大変恐れ多いことをなしとげたのが、「慶喜」だったのも、暗示的ではある。
別の友人は、姉妹でつけられた名前が、父の名の漢字二文字の、姉は「一文字目+江」、妹は「二文字目+江」だった、というから、「ふたりとも父にビロングしているんだぞ感」強すぎる名前な気がする。
王貞治家の娘が全員、名前の中に「理」の字が入っているのは、嫁いでも「王」の字が入ったままでいられるから、が理由だというし。
ちなみに、私は、父の名前の字も母の名前の字も入っていない。なんだか、自由を与えてもらったようで嬉しい。
しかし、なぜか妹は、しっかりと、父の名前から一字をとって名づけられている。
今なら、その理由、わかる気がする。
たぶん、父は、息子には、一字を与える気だったと思う。
しかし、生まれたのが二人目も女の子だったんで、息子はもう持てないようだから、ここで字をいれとこ、と思ったんでしょう。本人には確認できないけど。