服従しない服

発売当時、まず「フィフティシェイズ・オブ・グレイ」を本で読んでみた。
退屈と違和感のあまり、途中から飛ばし読みをしておしまいだった。
映画版なら、退屈と違和感は無くなるんだろうか?と、映画を見た。
退屈さは、本と変わらず。途中で何度も、帰ろうかな、と思った。
ただ、ビジュアルになると、グレイは、胎内回帰願望がある人だったのね、ということがとてもわかりやすかった。
大切なデートに登場するのが、ヘリコプターと、クールなセスナ機と、邸宅内にあるプレイルーム。
飛行機類のコクピットと、光のない閉鎖空間は、母胎の暗示だよね。
消えなかった違和感の原因は、同じSMのジャンルでも、洋モノと和モノでは、流派や嗜好が違っているようで、洋モノの嗜好には、自分的にはついていけなかったからみたい。
和食好みと洋食好みがいるように、洋モノのほうが好き、という人ももちろんいると思うが。
私は、SMというのは、体でするものというより脳でするものであって、言葉とイメージングと想像がメインじゃないだろうかと思っていたけど、グレイは、それらをほとんどしないS。
しいていえば、ヒロインのアナが、サブミッシブ(従属者。Mの立場)となる契約書の内容についてビジネスライクに交渉をするシーンで、言葉によるイメージングがあって、そうそう本来それがプレイじゃないの?って思ったけれど、他にそういう類のシーンはなし。
んー…やはり、世界が受け入れらなくて、心が乖離したまま、映画の終わりに近づいて。
あ! 私、この映画、最後まで見て良かった、という嬉しさに突如、陥る。
当初、素朴でダサダサのかっこうで登場するヒロインのアナは、ブラックなシンデレラストーリーのごとく、お金と恋の力で、見かけと服装が、どんどん洗練されていく。
そして、ラストシーンで、アナが何を着たかというと。
白シャツなのである。
白シャツでも、エロいのやお堅いのや、いろいろあるが、このとき着ていた白シャツは、あらゆる邪なものをよせつけない、凛としたストイックさ。
アナが、白シャツ一枚をここまで着こなせる洗練に達したことも凄いが、この場で、この服を選んだセンスも凄い。
光のないプレイルームから、光の下に出て行くアナの、拒否の鎧、服従しない服。
それが、白シャツ。
映画における白シャツの名場面の、ひとつです。間違いなく。
この白シャツ一枚で、この映画、見てよかった!にきもちが化けました。