無欲のコツ

妹夫婦が、旅行で、ある列車に乗った。
その列車の先頭車両の先頭座席は、鉄男垂涎の的の席なんだそうだ。
その垂涎の的の座席に、ふたりは座った。
後ろで、鉄男さんたちが、すごいな〜俺たちより早く並ぶなんてな〜と、ひそひそしていたらしい。
しかし、妹夫婦は、その日、列車に乗る直前に、駅の自動販売機で座席券の購入ボタンを押したら、その座席のチケットが出てきただけのことだったのだ。
ふうん。無欲な人のところに、来るものかもしれないなあ、と思った。
「その無欲な人のところに来るって、わかりますよ! ゲームでそういうことがあるから!」
と、ゲームでどのような状況でそうなるのか私にはさっぱり想像がつかないが、担当してもらっている整体師の男の子が強く同意してくれた。
そういえば、知人が、誘われて行ったスポーツメーカー主催のパーティーでビンゴがあって、なぜか一等をとってしまい、全く欲しくなかったスノーボードをプレゼントされてしまった、ただパーティの飲食を楽しみにいっただけなのに、しかも自分はスノボやらないから欲しくなかったのに、という話を聞いたこともある。
この場合の無欲って。
目的はもっと包括的なものだった、あるいは目的が別の方向にあった、ってことだよね。
妹夫婦の目的は、単なる移動だった。座席券が手に入ればよく、どこの位置の席かは関係なかった。(包括的)
知人の目的は、パーティーの雰囲気と飲み物と食べ物にあった。主催者がどこかも、ビンゴの商品が何かも、関係なかった。(別の方向)
「包括的な目的があるゆえの、無欲」の例で思い浮かんだのは、野球選手の野茂英雄が、プロ入りの当時、特定の球団を逆指名する選手もある中で「野球ができればどこでもいい」とコメントしていたこと。その後、そのときの同期のプロ入り選手の誰よりも早く、メジャー入りをしたはず。
それと、妹が高校生のときのクラスメイトの女の子で「医者になれるなら、どこの大学でもいい」(ただし私立大の医学部の学費はとても出せない)と、公立大学の医学部の中で自分の学力で確実に合格できそうなところを選び、縁もゆかりもない四国の大学の医学部へ進んだ、という話もそれ。きっと、無事に最短距離で医者になったはず。
「目的が別方向にあるゆえの、無欲」の例では、壇蜜と、エマ・ワトソン
壇蜜は、もともと日本舞踊の名取になるための費用を稼ぐために芸能界に入ったから、芸能人として売れることが目的ではないので、いつ仕事がなくなってもかまわない、目的は日本舞踊のほう、というスタンスらしい。
だけど今でも、芸能界で売れることが目的である人以上に、仕事を得続けているような気がする。
イギリス人女優のエマ・ワトソンは、たしか「国際的な慈善活動をするために、女優になった」とコメントしている。女優であること自体が目的ではないと。
そのわりに、ハリー・ポッターハーマイオニー役以降も、大作の大役の仕事が途切れることなく、続いている。
マチュア時代の野茂にとっての日本球界、妹のクラスメイトにとっての日本の全医大壇蜜にとっての芸能界、エマ・ワトソンにとってのハリウッド。
どの世界もまるごと、欲する対象ではなく、つまり目的ではなく、手段にしてしまうこと。
それが、その世界における無欲、を手に入れるコツかな。
無欲なのに、その世界のものに対して欲望していないのに、その世界でモテてしまうということ?
じゃあたとえば、お金や異性や賞賛が欲しい人は、お金や異性や賞賛を目的にしないほうがいいのかも。
それらが欲しければ、別の何かの達成のために、それらを手段に使ってしまえばいいのか。…なんか、すごい悪人のやることのように思える。
無欲って、ある意味、罪かも。徳というより、得をするのが無欲。