コンピュータ的

仕事をしていると、どうしても、業務内容に、どこか欠けがあったり、抜けがあったりする人に関わることがある。
例えば、記入表の必須項目が埋められている割合か、または正しく記入されている割合が、常に75%くらい、って人。
残り25%は、記入表の受け手が補完することになる。
が、この25%の補完の作業、繰り返し繰り返し繰り返し起こされると、けっこうイラッとくる事態で。
ほうぼうで、関わる人たちすべてに、このイラッとさせる事態を起こさせているうちに。
そういう人は、だんだん小さな組織へと、移されていく。
大きな組織内だと、関わる人が増えるからイラッとなる人たちも多く、なるべくその規模、人数を減らすほうが、トータルで見て、組織が助かるから。
最後まで、その人に関わりつづけなくてはならない少数の人間のイラッは、残るけど。
コンピュータは、あらかじめ、こういう欠けや抜けを、ブロックしてしまうんだよね。
必須項目が未入力か、ありえない内容だったら、保存を拒否するから。
だから、私たちがすっかり、コンピュータ的な身体感覚に寄ってしまっているのかもしれない。
仕事上、欠けや抜けがある人って、それがもしも人間性にも現れている場合は…親しみとか、憎めなさとか、に変化している場合があるから。
だから、仕事仲間にはしたくないけど、友達になりたい感じ。
業務の進み方、業務のモードがすっかりコンピュータ的になっているから、そういうタイプの人間は、仕事のしづらさは、どちらかと言えば増し続けているのかもしれない。
私個人的には、抜けや欠けがなく完璧に仕上がったものや、そういうものを仕上げてくる人に、しびれるけれど…でも、生死にかかわることじゃなければ、たいていのことは、「でも、たかが○○でしょ?」のひとことで、覆すことができるんだよね。
本当に大切なことは、もっと別なところに、もっと遠くから見えるところに、ある場合があるから。