世間知らずのままで

今日の午後。
四年前に会社を退職した人の連絡先が知りたい、という電話がかかってきた。
こういう場合、たとえ知っていたとしても、連絡先は教えないものだ。
私は本当に知らなかったので、知らないと告げると。
誰に聞けば知っているか?社長に聞けば知っているか?とさらに聞かれる。
それもありえないです、と答える。ありえたとしても、社長につなぐべき電話ではない。
じゃあ、連絡先をどうやって調べればいいのか?と、さらに聞かれる。
内心では、どうしても知りたければ、自費を投じて私立探偵でも雇うべきでは、と思ったが、ここで相談相手になってはいけない。
自分の個人的な利益を得るために、仕事上の関係者に相談を要求すること自体、本当は礼儀に反している。
なので、知らない、他に知っていそうな人も、知らない、で押し通した。
一緒に仕事をしていたくせに知らないんですか?!と、責められ、ええ、私は社内の人と親しくしないからごめんなさい、とまで言ってみた。
方便でそう言ったのに、ほんとうに人と親しくしない冷たい人ですよね、あなたは!、と、ののしられて、やっと電話終了。
電話を切り終えて、自動的に浮かんだ言葉は。
「…世間知らず…」
だった。
連絡先を教えない相手の連絡先を知りたがるのは、相手を気遣ってのことではなく、ほぼ100%、なんらかの自分の利益を得るために、相手を利用したい目的があってのことでしょ。
だから、聞かれてもみんな答えない。
そもそも、そういう対応をとるのが正常、ということを知らないってことは、世間知らずってことだよなあ。
と、思ったから。
ちなみに、電話をかけてきた人は、六十代の個人事業主の女性なんだけど。
私、世間知らずの六十代には、なりたくないわ…これ、ひとつ目標に加えておこ。
世間知らずにならないには、世間に触れていること、世間慣れ的筋トレみたいなことをつづけておくということだよね。
んー…ただ、電話をかけてきた女性が見失っている「世間」って、どういうイメージが沸いたかというと。
世間って、社会というより、人と人とのあいだ。人と人との間合い。距離。
それらを、礼として保てるポジショニングができなければ、世間知らずということ。
自分の獲得利益を求めて人を不快にさせないこと。自己中心的じゃないってこと。ずうずうしくないってこと。かなあ。
たぶん、世間知らずな人の周囲から、人は逃げていくだろうね。
あ、この女、この男、自分を利用しようとして近づいてきてる、って、わかるものだよ。
その人の周囲から、人が逃げていくから、「世間」を失うの。「世間」に身を置く感覚も、失ってしまうの。
なんてことは、私は、いっさい伝えない。伝える痛みを負う間柄でもない。
だからどうぞ、世間知らずのままでいて。