「想い」の数

来月で会社を退社することになった先輩と、お昼ご飯を食べる。
次の仕事は決まっているの?と聞くと、そういうわけでもないようで。
「以前から、50歳になったら今の会社を辞めよう、と決めてたんだ。」
と聞いて、びっくり。
先輩は、今の勤務先に中途採用されるまで、3回くらい、短期間の転職を繰り返していて、でも今の会社は二十年以上勤務し続けていたのに。
しかも、明確に、これをやりたいから、50歳のうちに今の会社を辞めるというなら、すんなり理解できるんだけど、そういうわけでもなく。
そのあとしばらく、社内の仕事と人間関係上の不満話や苦労話を聞いていたけれど。
もしかして、先輩のような人は…「想い」の対象をひとつに集中させるタイプなのかなあ、と思った。
仕事内で、同時にいくつもの業務ができない人、ってわけじゃなくて。
その時点の「自分の人生におけるメインの業務」を、ひとつに絞らないと、やっていけない人。
たとえば、私が必ずしも大好きで楽しい仕事でもないのに、自分の理想や「想い」に沿った仕事というわけでもないのに、会社生活が続いているのは、楽しいなあ面白いなあと感じながら生きたい、という大局的な希望はあれど、「生きたい」の部分が「仕事をしたい」とイコールにならなくても、それはそれで平気だから。
仕事以外のことで楽しく面白いことを味わえたり、仕事を通して「解る」こと「腑に落ちる」こと「発見する」こと「支えられる」ことなどが、面白いなあと感じて生きるうえでの調味料になったりもするし。
もちろん、自分にとって、つらい、苦行、耐えられない、という仕事であれば、そこから離れたほうがいいとは思うし、仕事が面白ければそれはそれでいいけれど。
だけど、もし先輩が「今時点の人生のメインの業務」を「仕事」ととらえて、それが自分の「想い」に沿わない状態になっているとすれば。
他に「想い」の対象を、並行して持つことができないタイプだとしたら。
いったん今の「想い」の対象を終わりにしないと、次の対象に行けない…のかもしれない。
仕事よりも旦那よりも、趣味に打ち込んでいる友人や、「母」であることがせいいっぱいで、仕事とか趣味とか勉強とか、他のことはいっさい考えられない、という友人がいるが、彼女たちもそのタイプかもしれない。
どこまで趣味に打ち込むかとか、どんな母であろうとするかは、自分で決められると思うけれど、仕事だとね…自分の「想い」に沿った仕事をするには、創業者とか、芸術家とか、あらゆる個人事業じゃないと、難しいのではないだろうか。
「想い」をどんなかたちにするか、も人それぞれだけど、「想い」の同時保有数も、人それぞれ…。