ハガキで連絡


先週末は、二年ぶりに、大学時代に一番仲のよかった友人と会うことができた。
多忙な友人だけど、この手ならきっと会えるはず、と思い付いたのが、友人の自宅近くに宿泊して、そこで夕食をいっしょする、という計画だ。
そこで、あらかじめ、実行日のひと月近く前にメールをしてみると。
アドレスなしで送信エラー。ええっっっ。メール変更の連絡、もらっていないけど。
しかし、性格を熟知していた相手だっただけに、確信があった。
友人は、私と連絡が断ちたくて、メールの変更を知らせないのではない。
ただ単に、めんどうなだけだわ。
電話をしてみる、という手もあったが、実行日までずいぶん間があることだし、レトロにハガキを出してみるか、と思った。
まっとうなハガキを買いにいくのもなんだかなあ、と思い、もらいもののお菓子の箱に付録のように一枚入っていた北斎のポストカードに切手を貼り、連絡文を書いて、投函。
無事、約束をとりつけることができた。
しかし、約束当日も、友人は仕事が入っていて、夜8時半開始の夕食。私は宿泊してるし、友人は自宅近所だし、土曜の夜だし、この時間でも支障ないか、ということに。
夕食前は水着でプールを50Mだけ泳いで、夕食には、こんなときこそ!せっかくだし!と持ってきた着物をきる。(バッグ重かった…事前に宅配で送れば良かった…)
仕事場から直行で、夕食の場にかけつけてくれた友人は、友人なだけに、着物姿きれい〜、二年ぶりに顔を見たけれど、若々しい年のとりかたしてる!(へへっ)ともほめてくれて、自尊心が艶々。
家族のようすとか、仕事のこととか、最近面白かったこととか、いろいろ話して、とても楽しい夜だった。
メールは、携帯ごと壊れたので、変更したんだけど、ただ単にめんどうで誰にも知らせてない(やっぱり)、ってことだった。
でも、電話番号同士のショートメールが使えたので、これでいいよね、と変更後メールも聞かないまま。
メールを知らなくても、連絡をとろうと思えばとれるし、会おうと思えば会える、というたしかな信頼と余裕があるのだ。
こうやって、無理をしてでも時間をつくって旧交をあたためる、っていいなあ。きっと、必要なことなんだ。
週があけて、会社に出勤すると、内面が、氷のように冷たくなっている自分がいた。
こんなに冷たい気持ちでいいのだろうか?というくらい、人は冷たくなれるんだ。
週末に優しさと女性らしさが放出できたからこその、冷たい自分でいられるみたいだ。バランスがとれれば冷たくなれる。
これから先は、冷たい女にならないと仕事のほうは、とてものりきれそうにないんだよね。嫌われようが、味方を失おうが。