ココロが主役、そして居場所と出番

先週、某所で聴いたお話の中で。
購買活動の決め手となるものは従来「価格・性能・付帯サービス」だったのが、ネットの登場で、どれもほぼ同じ、となってしまった今、何が決め手になっているかというと。
「人間の心」「人間主体」になりつつあるんだって。
好み、とか、雰囲気、とか、手のなじみかた?とか、もはや、計りがたい感覚。
経済学の世界で、誰も想定していなかったこの、人間の心がモノと金の流れに介在する事態に対して、世界の経済学は、人間の心理面を研究する方向へ、心理経済学(ニューロエコノミー)へとシフト中。
しかし、日本の大学で、それを教えている経済学部は、おそらく上智と慶応だけ。
いまだ、日本の大学の経済学部の3分の1は、マルクス経済学(現在、マルクス経済学で動いているのは北朝鮮だけなのにもかかわらず)なんだそうだ。
人間の心が経済を動かす、という点で、頭にぽん、と浮かんだのは、「ほぼ日」かなあ。
商品のつくりかた、売りかた、買い手の購入決定のしかたが…私のココロがこの品を指し示しているから、これをつくりました、売りました、買いました、って感覚。
他の物販企業にとって、ほぼ日市場のすがたは、予想外の事態だったのでは?
購買活動のキイは、得かどうか、より、徳かどうか、になっていくだろう、とのことだ。
お話の中で、もうひとつ面白かったのが、周囲の誰もが、恐ろしく頭脳明晰な人物、と称えるある官僚がいて、その人が講演会に呼ばれて、
「人間にとって一番大切なのは、居場所と出番です。」
と語っていて、これはとても的を得ている、ということ。
ちなみに、山田ズーニー著「おとなの進路教室。」の中で、カルロス・ゴーン氏が講演会で「会社に大切なものは、アイデンティティとモチベーション」と語った、という記載があったけど、ちょっと似ている気がする。
でも、アイデンティティ…より、「居場所」と「出番」のほうが、日本人の感覚になじむね。さすが、日本の公僕による言葉だけあり。
この場合の「居場所」とは、ハコや肩書きじゃなくて、「自分の居場所」は何か、ということで、「他の人にはない能力、その人独特の個性」は何かということ。
「居場所」だけがあってはだめで、そこにプラス、「出番」が必要。自分の能力と個性を生かすこと、生きること、が生活の基本だから。
たぶん、たいていの人の「居場所」の捉え方は、所属組織のイメージを描くことのほうが多いと思う。
でも、「自分の居場所」探し=「自分の能力・個性」探しだとすれば。
「居場所探し」は、自分の外でじゃなく、自分の中で行うものだ。
そして、「出番」は、外にあるものなんだ。
「居場所」を持っていないと、「出番」もない。
もうひとつ、思うことがあった。
居場所も出番も、自分がコントロールできるというわけじゃないと。
どうしてこういう能力(居場所)があるのか、出番がくるのか、当人には解らないってこともあるよ。他人には解っていたとしても。