あなたのためだけに使う時間

南東向きのベッドで寝ている。
朝日が射しこむので、目覚まし時計がなくても自然に目覚め、陽射しにつつまれつつ、そのままベッドの中にいるのも、最高に気持ちがいい向き。
本日、休日の朝、この週いっぱいの労働の疲労もあって、このままベッドの中で、だらだらしていたい…という強烈な欲望にかられるが。
午前中は、二週間ぶりのピラティスに行き、午後は月に1回だけの、声を使う習い事へ。
眠たいよ〜寝てたいよ〜、今日の私には、眠るほうが重要なんじゃないのか?と自問しながら、ふらふら移動。
ふら〜としながら受けたのに、ピラティスでは、なぜか今日の身体の感じ、いいですね、と褒められる。
不思議だが、こういうことがよくある。身体も意識も疲労している日なのに、筋肉のほうは、望ましい動きができる身体だったりする。
次に、ふら〜としながら声のほうの習い事に行ったら。
うわ。私の声の感じ、おかしい。
震えていて緊張している。殻をつくっている人、萎縮している人が出す声という感じ。
ピラティスで、身体のほうはだいじょうぶだとわかっていたから、この声のおかしさのほうは、身体的なものじゃなくて、精神的なもののような気がする。
たぶん、師匠も、違和感を持ったようで、音程の指導はまったくせず、私の声をどんどん開いていく指導に重心をかけていく。
声に関することを一生の仕事としている人は、特別な耳を持っている。
師匠は、私の声をひらいていくことに時間を費やしたあと、私の「あ」と「え」の発声の場合に、ひっかかりや塞ぎがある、と、その原因をさぐっていく。
自分の声を自分で聞いていても、そんなこと、まったく気がつかない。
師匠の発見により、舌先の位置と、上唇のかたちの変更を練習。
丹田、声帯、口腔、唇をスルーする声の道に、ぶつかりがないように。楽器だわ、物理だわ、まるで。
いつも1回のお稽古でひとつの課題が終わるペースなのに、今回は、新しい課題に進まず次回も同じ課題を継続に。
震えと緊張と萎縮をとって、私の声をひらくまでに時間がかかったから。
でも、声がひらかれたおかげで、ちょっと健康になった気がする。(精神面が)
ピラティスで適度に肉体疲労もしているし、いろいろな意味で、休養しないと、と直感したので、お稽古の後、まっすぐ帰宅して、午後寝。
それならば、朝から、ずうっと寝ていたほうが良かったか?というと、違う。
今日は行くの、やめたい!と思いながらピラティスに行くのは、それが、自分の身体のためだけに行うこと、自分の身体のためだけに使う時間だから。
仕事でも、娯楽でも、その間、「自分の身体のための時間」は、ないに等しい。
どっちもたいてい、自分の身体に悪いこと、悪い動きをする時間。だって、その時間の主役は、身体じゃないから。
声に関するお稽古も同じ。「自分の声のための時間」をつくることが必要だと、去年あたりに思うようになったから。
自分の中や、周囲に、さまざまな、大切にしたい「あなた」がいるとして。
「あなたのためだけに使う時間」をとることが、必要なのである、大切な「あなた」であるならば。