フィルターを楽しむ

日記って、人に見せることを前提にして、書くものでしょ?
という友人の言葉に、はっ!となったことがある。
土佐日記紫式部日記、泉式部日記、樋口一葉日記....老舗カルチャーとしての日記文学さえ確立している日本人はきっと「他人の日記好きDNA」を持っている。
日記は、人に見せるもの。
「読める体裁」に気を配りつつ書くものは、人目を意識しているに、他ならない。
「読める体裁」をなしていないものは、人に見せることを前提にしていないもん。
はてなダイアリー」だって、日付くっきりな体裁が、日記であることを示しているのだ。
はてなダイアリー出身の最大のスター、ちきりんさんは、はてなのフォーマットは、日付が明確な点が何より気に入っている、と述べていたっけ)
有名人の日記ならともかく。
(私が、もしも存在していたらぜひ読みたい有名人の日記は、マサコの日記とキコの日記である。世間には、文章を綴るタイプと、綴らないタイプ、がいると思うが、この二人は絶対に「綴るタイプ」に思えてならない)
無名の人の日記を読む場合、何を求めて、何を楽しんで、読むのだろう?
フィルターだ。
人は、一生、その人の脳内でしか、生きられない。他人の脳に入り込むことは、不可能。
だけど、他人の脳、他人の目というフィルターに、出会うことは、できる。
芸術、書物、造作物、さまざまな「プロのフィルター」も楽しいけれど。
マチュアの、パーソナルでプライベート感が濃いフィルター=日記も、それはそれでまた。
宝探しのごとく、膨大なWEB上の日記の森を旅しなければならないが。