パターン好き

私はパターン化が好き。
だって、区別がはっきりついて、とらえるのに凄くわかりやすいんだもん。
思えば、経理の世界にはまあったく興味がなかったんだけど、働きはじめたら、なぜか経理の知識を要求されることがどんどん振ってきて、横でちんぷんかんぷんの話をされるのにいらいらして、簿記の勉強しておこ、と思ってテキストを読んでみたら「完璧なるパターン化世界」が展開する内容だったので、けっこう自分の思考の肌になじんだことがあった。
でも経理分野の仕事に燃えたいわけじゃなかったので、独学で簿記二級とった後は、それっきり簿記のテキストは開かなかった。
自分の中に、簿記的パターンは染みこんだと思ったから。
物事をパターン化してとらえるということは、学ぶフォーマットとしては、とても有効。
ただ、その咀嚼と染みこみが終わったら、忘れていい、と最近は思う。
パターンを学んだら、それをどう崩していくか、が、上の段階に進むことだなあって思う。
服装もそう。食べ物もそう。あらゆる芸術も。きっと思考さえも。
完璧にパターンに沿えばこうなんだけど、そこは意固地にならず、崩そうよ、って感じ。
「欠け」といってもいいのかな。
ものごとにも人間の思考にも、どこか「欠け」があったほうがいい気がする。
慢心しない、というイメージかな。
進行形の生命体は、満月みたいに満ちることはない、きっと。
ダイエーのマークが一部欠けているのも、現状では満足しないという思いがこもっていたと思うが。
アップルのかじられたりんごのマークも、いろいろ説があるが、欠けがあったほうが、進行形の会社、現状に満足しない会社を現しているような気がしてならなかったりする。