司書という職業

先日、友人に会ったとき「司書」の話題になった。
友人の職業は学校事務なので、グループ内の学校間を異動するたびに、そこにはたいてい図書室がある。
いまや「司書」が専門職の正社員として雇用される時代は、過去のものだそうだ。
雇用先が極度に減り、司書の資格を持っていても、社員職は狭き門で、派遣社員か嘱託社員となることが多い。
紀○国屋書店などの大書店が、自社のアルバイトを、公立の図書館事務に派遣しているほど、司書職の居場所がなくなっているんだって。
そうなった背景は、司書じゃなくても図書館事務をさせてもいいという公的機関による緩和策らしい。
それって、公的機関のエラい人たちが、司書なんて、誰でもできる仕事なんだろう、という見方をしている可能性がなくはないんだろうなあ。
同様に、保育や介護だって、誰でもできる仕事なんだろう、とエラい人たちが思っているから、給与が高いとはいえない待遇なんだろう…。
「司書」の場合は、それに加えて、司書になりたい!という人の夢や憧れや情熱があるから、雇用条件を悪くしても成り手がいなくて困ることにはならず、雇用側は全く困らないんだろう。
「なりたい人」が多いから、雇用側が強気に出られる職業…そういえば、十年以上前、チャコットのダンス教室で、タップダンスを5年くらい、習っていたことがあったのだが。
教室のパンフで講座一覧を見ると、いわゆるいまどきのダンスといえばこのダンスを指す、というような講座もたっぷり開催されていて。
各講座の講師についている釣書が「20xx年度安室○美恵ツアーダンサー」とか「20xx年度S○APツアーダンサー」といったもので。
ダンスを長年習っている会社の人に聞いてみると、「誰々のツアーダンサー」が、ハクづけになる世界なんだそうだ。
当時、日本国内では最もオーディションに勝ち抜くことが難しく、最もギャラが安かったのが「S○APツアーダンサー」。
しかし、どんなにギャラが安くてもそれは、ダンサーとしてピカイチのハクづけを手にすることを、それにより個人の営利活動が受ける恩恵の増大を意味した。
こういう場合、ジャ○ーズ事務所側=雇用側は、圧倒的に強気に出られるが、ダンサーの側も、手にするギャラそのもの以上の、見込み利益を得るのだ。
そういう意味では、雇用側の一方的な搾取ではない。
それに比べ「司書」は、司書職そのものがゴールなのであって、司書をやったから他の営利活動やハクがつくというわけではないんだよなあ。
純粋に司書という職業自体が、欲しい。そういう人たちに対する今の雇用側の姿勢は、司書職を社会で育てていこうなんていう姿勢はほぼなく、司書職への情熱や思いを、できるだけ安価に利用しようというもののような気がする…。
そういえばアニメーターも、給与がとても低いんだっけ。雇用条件が悪くても、なりたい人にはことかかず、雇用者側が成り手がいなくて困ることはないから。
アニメーションは、世界に誇る日本文化なのにね。
それとも、なんらかの専門職を社会に育ててもらおうという考えが甘いのか…。
ちなみに、私が個人的に出会ったことのある司書は、ひとりいて、大学生のときだった。
その人は、同じ大学の図書館情報学専攻に所属していたが、当時、図書館情報学専攻を設けていたのは、公立の図書館情報大学の他は、うちの大学だけだった。
こどもの頃から図書館が好きで、旅行先でも、図書館を見かけたら、中に入らずにはいられない、とその人は言った。
あまりにも図書館が好きなので、両親があきれて、そんなに図書館が好きなら、図書館情報学科に行きなさい、と言われ、ふうん、そんな学科があるんだ、とその人は感動して、こどもの頃に、図書館情報学科に行く!と決めて、受験したのも、ふたつの大学だけだったという。
本が好きなわけでもなく、書店が好きなわけでもなく、図書館が好き。
つまり、図書館は、本好きとも書店とも、まったく異なる世界のものということだ。
私にとって、司書という未知な世界の特別さ、重要さは、その人によって、実態はないけれど確信的に記憶に植えつけられている。
その人は当然ながら、司書になり、東京大学付属図書館に就職して現場の仕事を経験したあと退職して、図書館情報学の研究職になった。
今、その人が教えている生徒の司書としての未来は、とても厳しいのだけど。