電気羊

リドリー・スコット監督の映画「ブレードランナー」を見たときは、レプリカント(アンドロイド)たちの美しさに呆然と見惚れていたけど。
原作のフリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を読んだときに強烈に浮かび上がってきたのは、アンドロイドではなくて「電気羊」のほうだった。
電気羊=価値観だ、って思ったから。
現代の、贅沢な所有物といえば、フェラーリエルメスかな。世界のどこかの国の不動産とか。
でも、小説の中の未来の世界では、それは、生身の動物。生きた動物こそ、最高の贅沢品。
それを所有することがステイタスとなるが、高価ゆえ、手に入れることができない者のために、ロボット動物も売り出されている。
羊なら羊ロボット、すなわち電気羊が。
世界の変遷は、価値観の変遷、世界の変化は、価値観の変化。
電気羊は、本物の羊が希少で高価な存在となってしまったから、代用品としてつくられたものということになるが。
これから日本で「電気羊」的なるものがつくられるとしたら。
羊じゃなくて、それは…。
マツコ・デラックスのアンドロイドがテレビに登場しているけれど、本当は、市場がつくりたいアンドロイドはマツコじゃないんだろうな、と思うよ。
なんで突然こんな発想が浮かんだかというと、たまたま「JKビジネス」の一店舗が警察に摘発されて、そのサービス内容が女子高生の作業所をのぞき見すること、という内容を読んで。
アダルト産業は、どんなにいい企画を考え付いても、素材(女の子)を手配できるかにかかっているよねえ、とよくわからない納得の仕方をしていて。
ふと、ミラーを隔ててのぞくだけなら、精巧なアンドロイドでも代用できるんじゃ?と思ったのだ。
生花が無理なら造花でいいのか、的な悩みを呼びそうだが…。