表現したい人々

前記事で話題にした、作家・角田光代氏は、小説の書き方を教えてくれる大学を求めて、早稲田一文の文芸専修で学んだ人だ。
エッセイの中で、当時、文芸学専攻を持つ大学はふたつしかなかったとあり、うん、たしかにそうだった、と思い出した。
早稲田と日大だけだったはずだ。
しかし。
今「文芸学科」をウィキペディアで見ると、ざっと二十もの大学が並ぶではないか。
カリキュラム内容も、文を読ませること、書かせること、発表することが満載で、わーもしも私が今高校生だったら、ぜったい文芸科に入りたいなあ。
それにしても、大学全体の数は減りつつあるはずだけど、文芸学的な学科を備えた大学は10倍になるほどの増加をしているって。
学生側のニーズがある、人気がある学科ってことだよね。
なぜだろう…?
文章というツールで表現したい若者が、かつてより増加しているということか。
文学は、主に研究だけど、文芸は、文章による芸術を学びつつ、アウトプット、創作、表現を目指す学科。
…何かを研究するよりも、自分の表現の仕方を学びたいのかな。
研究のためのレポートや論文は、他者の参考文献の一部を剽窃してしまうことが多々あると思う。
今は、その気になれば、他者の書いたもののコピー&ペーストで、加工・成型レポートが作成可能。
テーマ別にレポートを売っているウェブサイトもあるくらいだ。評価Aをとったレポートです、とアピールコメントつきで。
つまり、レポートを書くことじゃなくて、評価Aをとることのほうが主の目的なのね。
しかし、レポートではなく、アウトプットしなくてはならないものが、創作だったら。
自分を表現することが、目的となるはず。まるごと剽窃しようという行為には、心理的にブロックがかかる気がする。
他者の研究方法より、自分の表現方法を学ぶことのほうが、学びの商品としては魅力的なのかも。