土の中に埋めておくもの

雑誌で、作家・角田光代氏のエッセイを読んでいて、ある箇所にはっとなる。
それは、ある時点で、それまで読者に一文一文たちどまって読んで欲しくて、一語一語吟味して書いていた文章のスタイルを変えた、というもの。
「読みのスピード感」を重視して、余計な装飾をそぎ落とした文章に。
いろいろなことが思い当たって、はっとした。
作り手の凄さや技術が誇示されたものは、必ずしも受け手にとって、魅力的とは限らない。
伝わりかたが易しいもの、でないと。技術より作品そのものが魅力的じゃないと。
凄さや技術は、目立たせるものではなく、隠すもの。役者じゃなくてスタッフ。花ではなく、土の中の根。
たとえば、易しい言葉で難しいことを表現できるのは、大変高度な技術の証。
難解な語は使わず、少ない言葉で、多大な伝え方ができるものもそれ。和歌なんて、そうだね。
土の中の根にするもの、花にするもの、の判断と選択は、マクロでみれば、自分そのものが、世界に対して、土の中の根のスタンスになってしまいかねないが。
ミクロでみれば、楽しく活用できるかな。
自分の中の、何を花にして、何を土の中の根にするか、という感じに。