先生というもの

気がつけば、この一年で、私が「先生」と呼ぶ人が、新規に5人現れていた。
(5人のうち、4人は同じジャンルだから、習得を始めたものが5つってわけじゃないけど。)
先週末の、先生のうちのひとりのお話で。
先生は、教えたい、と思っちゃだめ。
それじゃ、生徒に、教えることは身に付かない。
生徒が先生を追っかけたい!と思ったとき、身に付く。
それは恋するということ。恋は、男女間に限ったものではなく、もっと超越した感情。
何かを教えたければ、生徒に追っかけられるようになること。恋されること。
それにはどうすればよいか。
授業で、学ぶ内容だけを、テクニックだけを教えていてはだめ。
人間とは、生きるとはどういうことかも、教えること。
これを聞いたとき、思い当たったことがあって、すごく納得できた。
美術史家の故・若桑みどり先生が、そうだったから。
若桑みどり先生の講義は爆発的に人を集め、老若男女問わず、学生・一般人問わず、大人気だったのだ。
著書も面白かったけれど、生徒が渇望していたのは、なんといっても「講義」だった。
高校や予備校や大学の他の先生の授業と、若桑みどり先生の授業内容の、何が違ったんだろう?と振り返ってみれば。
美学美術史の知識だけを教えていなかったから。
美術って素晴らしい、に加えて、人間って素晴らしい、こういう生き方も、考え方もあるのか、と感嘆するような講義になっていた。
たしかにあのとき、生徒は全員、若桑みどり先生に恋していた。
先生に会いたい!先生の講義が聞きたい!の一心だった。
加えて聞いた、別のお話。
大手企業に個人はかなわない、大に小はかなわない、は本当か?
山口県シャッター通りの売れない洋品店を営んでいたユニクロは、なぜ十年で、こうなった?
三重県呉服店から始まった、イオンは?
マイクロソフトもグーグルも、最初はたったひとりで始めた。
本人は、自分がたいしたことを、大きなことをしているとは思っていなかった。
たったひとりが、小が、大に勝っている。
・・・他にも、元気が出ることをいろいろと聞いた授業。
人を楽しませること、元気にさせること、って大事だ。
たしかに、学習内容オンリーの授業じゃ、この充実感、味わえない。