書いてみると

書く、って恐ろしい。
そんなことを思った、先週末。
あなたの望むゴールを書いてみなさい、と言われて、ボールペンを手に、紙に向かい合った。
実は私、こういうの、とっても苦手・・・。
自分に自信が持てないから、自分の心中に向き合うのが怖い。
紙に、一番大きなゴールを書いて、そこに至るまでの、小さなゴールを書く。
ゴールは、思いつくままいくつでも書いていいし、大か小か、どちらかのゴールしか書けなくても、小から大への、関連性やつながりが見つけられてなくても、かまわない。
口に出せないけれど、たぶん私の中の、大きなゴールは、こうだな。と思ったものを書いてみる。
そこに至るまでに、達成していく、小さなゴールって何かな・・・と書いてみたとき。
突如、一分前には全く思い浮かばなかった考えが、文字に表れた。
ええ?!と驚いた。
ここ数年間、どんどん周囲の人間が減らされて、今、私は部課単位の中では、最後のひとりも同然の状態になっていて、でも、出て行った人たちや、課外の人たちは、助けてくれているから、つづけていられるんだけど。
しかし、私の代わりって、近くにいるのだろうか? ・・・もう、いないんじゃないか?
かといって、もしも最後のひとりの私が逃げてしまうと、部全体に迷惑がかかるし・・・・というジレンマに陥っていたのだけど。
・・・自分で出口をつくるしかない。
耐えても、待っても、たぶん、誰も連れ出してくれない。
仕事ぶりが問題だらけならばともかく、仕事をちゃんとこなしていれば、よけいに出口が閉ざされるという、この矛盾。
ってことに、突然気が付いたのだった。書いてみたら。
出口のつくりかたも、同時に思い浮かんだのだった。書いてみたら。
週末の二日間をつかって学んだセミナーの内容は、要約すると、シンプル。
失敗は必ずする。
現象は現象に過ぎない。
現象に意味を持たせているのは自分の思考。
性格は変えられない。
思考も変えられない。
でも行動は変えられる。
行動してみること。
行動の結果、失敗してもあたりまえと心得ること。
という、よく考えれば、まっとうで、もしかしたら誰もが思いつきそうな内容なのだけど。
なんで出口を自分でつくるしかない、という気づきが突如起こったかというと、まず「書く」という行動があったから。
これをしなきゃいけないの?ワタシ?と自分が書き出した文字に自分でびっくり。
「書く」というのも、小さな行動のひとつだったんだ。しかも、一番とっかかりやすい行動のかたち、かもしれない。
出口をつくれるかなあ、ワタシ。国の法制度変更、という外部的な要因もあって、遅くても三年以内に、出口をつくらなくては。