食べもののセンス

食べものにセンスがある人がいる。
美味しいものがわかる人、美味しいものを見つけるのがうまい人、美味しいものを食べるのに労をいとわない人。
その美味しさは決して、高級ホテル内のレストランだからとか、有名な店だからとか、有名な料理人だからとか、価格が高級だからとか、食材が高級だからとか、調理法が手が込んでいるからとか、調理法にロジックがあるから、じゃなくて。
その人のセンスが、美味しい、と確信したものを選んでいる、という気がする。
わたしには永遠にかなわないものを持っているなあ、という気がする。
わたしはそういう人がとってもうらやましいし、そういう人が知りあいにいるととても幸運だし、そういう人に食べに連れていってもらうと、とてもうれしい。
食べにいく店の料理が美味しいことには、ハズレなしだから。
そこでは、一皿でてくるたびに、おいしーい、とばかみたいに、連呼しながら食べることができるから。(そういえば、おいしーい、と連呼するのが許される雰囲気のお店であることが多いな。)
たとえば小説家で、この人はそういう人だな、と感じるのは、森茉莉村上春樹かな・・・。
食べものにセンスがある人に、センスがない人(じぶん)がしてあげられることは、これからも、ばかみたいに素直に、おいしーい、と連呼することだな。