ばけらった。

ゆうべ突然、オバケのQ太郎のO次郎は、「バケラッタ」しか言わなかったな〜と思い出した。
Oちゃんは「バケラッタ」だけで、日々を生活できていたんだよな。
Q太郎が通訳していたけれども、通訳なしでも「バケラッタ」だけでじゅうぶん思いは伝わっていた気がする。
じゅうぶん、存在感も存在意義もあった気がする。
無邪気で可愛い赤ちゃんオバケだから、存在しているだけでなごむんだよな。
しかし「バケラッタ」の通訳が正しいか正しくないか、って・・・だれもわからないんだよな。
もしも、ひとりひとりの人間が、ひとりひとりのOちゃんを連れていて。
バケラッタ」という言葉を、これこれ、こう言っているんだよ、と(好きに)通訳できるとすると。
じぶんでは言えないことを、じぶんのOちゃんに言わせるってことも、できるかも。
いわば代弁者・・・。
リアルで言えないことを、ネットで言うみたいに。
それとも、じぶんの言っていることも、聞いていることも、たいていは「バケラッタ」なのであって、じぶんの「バケラッタ」がどう通訳されるか、じぶんが「バケラッタ」をどう通訳するか・・・。
なのかもしれない、会話って。