別人

かつて小泉氏は、歌舞伎やオペラを観にいくときに、幼い息子たちも連れていったそうな。
その結果、ひとりは芸能界へ進み、もうひとりはパフォーマンスに優れた政治家となる。
じぶんの選挙カーに、その場に来ていた18歳19歳をひっぱりあげたのも、ああたしかに、優れたパフォーマンスだ。
歌舞伎で「見得を切る」のは、ぱっと観客の注目を一身に集める、目を醒まさせるストップモーション
演技に飽きさせないためには、ときおり注目の演出が必要だと、かの政治家は自然と学んで知っているのかもしれない。
たとえば、プレゼンテーション力をあげるには、論理や講義よりも、パフォーマンス芸術を、あびるほど見ることが、することが、いちばん効くのかもしれない。
テレビや映画は、なまの演技ではない。演技者も、なまみ、観客も、なまみのパフォーマンスじゃないといけない。
だって、なまの世界に生きていれば、なまみ対なまみのパフォーマンスばかりだから。
パフォーマンス!
なんか夢の武器のように思えてきた、パフォーマンス!
パフォーマンスを大切にする国、アメリカの大学の学科「パフォーミング・アーツ」は、プロのアーティストになるための学科ではなく、政治や経済や医療や福祉や、あらゆる分野に進む人が併行して学べるとのことだ。
パフォーミングアーツに縁遠いワタシだが、ジミながらそのカテゴリに入れてもいいか、と思う習い事を始めたところ、先生からなにかにつけて、「別人になってください」と言われる。む、むずかしい。
パフォーマンスとは、別人になる技術なのだろうか。
別人はワタシの延長にあって、別人の材料はワタシである。
となると、別人になる技術というより、ワタシを料理する技術かな。
素材を活かした、場面に応じた料理をつくる技術。
・・・・パフォーミング・アーツをぜんぜん知らないくせに、語ってみました。