長持ちする服

この秋、大判サイズのストールを(なぜか二枚も)もらったので、使ってみようというきもちが強くって、気温がまだ低くないころに、ストールを上着代わりに羽織って使っていた。
じゅうぶん、ジャケットの代用になった。
たぶん・・・ストールは、ジャケットより長持ちする。
なぜなら、かたちがないから。
ジャケットもコートも、かたちがある。デザインというかたちの。
良質な素材のものを手にいれても、デザインがもたなくなる。
じぶんに合わなくなったり、流行に合わなくなったり。
洋服は、それ自体がかたちをもっていて、そのかたちを着ること、かたちを見せることが目的みたいなものだ。
中に納まる人間のからだが細ければ細いほど、どんなかたちの洋服も受け入れることができる・・・
見せたいのは、からだのかたちじゃなくて、服のかたちだから。
からだのかたちより服のかたちを優先させることは、だんだんつらくなってくるんじゃないだろうか。
だって、からだのかたちは変わるけれど、服のかたちはからだに合わせて変わってくれるわけじゃない。
だから、ストール→かたちのない服、という発想との出会いが、とっても嬉しいわたし。
長持ちする服は、かたちがない服じゃないだろうか。
かたちがない服だから、からだのかたちで着る。からだが主体となってくる。
からだのかたちは、個性だから、どんなかたちでもいいと思う。
ストールの次に発見した、かたちのない服が、sou・souの服。
「きさらぎ」の中の「肩上げ」というツイード地を使った羽織的な服があって、羽織ると、着る人のからだのかたちによって、その人それぞれの衣類のかたちが立ち上がってくる。
それなのに、ぬぐと、え?これ四角い布っ?と驚く、かたちのなさなのだ。
面白い。
かたちのないうつわをつくって、中身がかたちをたちあげる。
服もうつわなのだよ。
なにかをユニバーサルでグローバルにするコツは、かたちのないうつわ。
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