美しい服

美しい服を持っていた。
黒地に、ボルドーとピンクの小さな花の刺繍が、全面に施されたワンピース。
身体を通すと、実寸よりもほっそり見える腰を描き出した。
もちろん、非日常着である。
非日常な気もちになりたいときに、着て出かけた。
ところが、その服を着たある日、徒歩10分のあいだに、二人から、二文字言葉の不意打ちに遭う。
どちらも、スーツに身を包んだ会社員風の人物だった。
一人は、怒り満載に吐き捨てる口調。
もう一人は、信号待ちをしている私のそばに、わざわざ二音を告げるために、歩み寄ってきた。
わざわざ。
日常的な服を着ているときよりも、こたえた。
服に悪かった。
どう見ても、服の美しさは疑いようもないから。服も、めんくらっているのではないだろうか。
この服の創り手も、まさか中身と一緒に服が罵倒されるとは、予想もしていないだろう。
10分で外出を打ち切って、すごすご退却するわけにもいかず、その日の予定を続行していった。
こちらがお客の立場のシーンだと、美しい服のせいか、どこでも通常時より大切に扱ってくれる。
大切に扱われているかどうか、という点については、女は敏感なので、思い違いということはない。
電車の中では、珍しく痴漢に遭うしで、わけがわからない。
その晩、気づいた。
私は、この美しい服を、着てはいけない。
私から、服が逸脱する。
服が美しいだけに、期待感をあおってしまうのだ。
顔も比例して、美しいんじゃないかと。
期待値が大きいほど、裏切られたときの失望と怒りも大きい。
電車内の痴漢も、私の顔の見えないポジションに位置していた。
痴漢の気持ちになって考えてみると、美しい服を見ながら、美しい顔を想像して、事に及んでいたのだろう。
この服を着て歩くのは、ものすごい美人の隣を歩いているようなものだ。
私が、不美人未満であることを強調してしまう。
とても好きな服だけれど、この服を着ている限り、私は不美人未満だ。不美人になれない。
名残惜しかった。だが、この服に別の活路を与えたほうがいい。
私より、顔を姿も華やかな妹に、譲った。
「半年前に買ったばかりの服でしょ? だいじょうぶ、お姉ちゃん?」
と妹は心配顔。
だいじょうぶだよ。
美しい服を、妹のもとへ送り出してから、色々な試行錯誤と、悩み期間を経る。
今、私が持っている非日常着は、黒いシンプルなワンピースである。
私の身体が入ってはじめて、服のかたちも立ちあがる。
スカートのデザインが、控えめなアシンメトリーなのも、気に入っている。
手放した服は、私ナシでも、いや、私がかえってマイナス要素になるくらい、単独で美しい服だった。
今の服は、私の身体が入って、生き始める服である。
共生の関係だ。
お互いにサポートしあっているような、心強さがある。
「着た? じゃあ、出かけよっか」
と服に声をかけられているような。
二週間後の、妹とのディナーに、着る予定である。