通りすがりにブスと言われたら

不美人になりたい。
それが正しい目標だと気づいた。
通りすがりの人々の評価によれば、私は不美人未満だからである。
タイトルには表示したが、二度とそうしたくないので伏字にする。
○ス。
たった二文字のこの言葉の持つ、負のエネルギーたるや、すさまじい。
四十路半ばの私さえも、一瞬できゅうとへこませる。
しかも人中を出歩く限り、いつ何どき不意打ちに遭うかもしれないのだ。恐ろしい。
すれ違ったとたん、「あー○スだった」「え、顔見てなかった」と会話する人々。
エレベーターの乗降ですれちがう一瞬に、耳元で「○ス」とささやく人。
顔が半分隠れる帽子をかぶって歩いていると、わざわざかがみ気味になって、顔を確かめて「○ス」と伝える人。
電車内で、私の真横でずうっと「○ス、○ス、○ス・・・」とリピートし続ける人。
休日の青山通りで、全身をふるわせて「○ス!」と前方で怒鳴りつける人。
背後から、「○○町には美人がいねぇなあ。○スが堂々と歩いてるんだーっ」と叫ぶ人など。
すべてこの一年以内に起きたことである。
さすがに場数を踏んでくると、耐性ができてくるようで、○スと言われても一晩で立ち直れるようになった。
そんなある日、約二十分の徒歩のあいだに、三人から○スと告げられる。約七分おきだ。
一晩で、立ち直れなかった。
翌日から、マスクをつけて外を歩くようにした。
目論見通り、マスクをしていると、判断材料不足で評価が難しいらしく、○スと言われない。
やったあ、とマスクの下でほくそ笑む。
しかし。
ついにマスクをした状態にして、二人から言われてしまったのである。
一人は珍しく、女性だった。
もう一人は怒り心頭のあまり、「○ス!」とほとんど一喝の状態であった。
そこまで他人様に怒りをぶつけられる行為をした経験自体、あまりない。
顔の三割しか見えていない状態で、このありさまである。
存在自体が怒りの対象になってしまうなんて、すごいことである。
その人自身の属性(人種、宗教、性的志向)が動機で引き起こされる犯罪を、ヘイトクライム憎悪犯罪)というが、そのうち私も、○スという理由だけで殺されたらどうしよう。
それに、往来で理由なき憎悪を(相手方にとっては立派な理由があるだろうが)ぶつけられるのは、自分の身体にも心にもダメージだ。申しわけない。
なんとか、緩和する手立てをこうじなくては。
美人になりたい、という非現実的な目標は、100Mを10秒で走れるようになれというも同然。
一生かけても無理である。
美人に到達する前に、老人に到達して、そのまま生を終えるだろう。
不美人になろう。
不美人なら、美人ではないというだけである。
私にも手が届く可能性がある。
現状把握の一環として、○スを手持ちの国語辞典でひいてみた。(新潮社:現代国語辞典)
「女性の容貌の醜いこと。また、その女性」とある。
そう、○スは女性限定の言葉なのだ。国語辞典にスペースを確保するだけの、キャリアを誇る言葉だ。
たった二文字という最小単位で構成され、素早く一瞬で口にすることができ、最大効果を考慮して選択された、たった二音の響きは、非常に醜い。
この言葉を口にする人間の、顔つきや声音は、このうえなく醜い。
その醜さを見せられること自体を、減らしたい気持ちも、大いにあって。
不美人計画始動。