減少の恐怖

ひさしぶりに大手小町掲示板「発言小町」を見てみた。
ある人の悩みが掲示される→それに対して、さまざまな意見が掲示される、という最もシンプルで原始的なスタイルの掲示板。
読むと、ネガティブな意味で、励まされる。
きれいごとではない本音の意見、いやな部分も自己中心的な部分もまっすぐ見せている意見、自分の経験や周囲の経験を自己中心的な実例としてあげている意見。
みな、まじめに意見している。
まじめに、いやな部分も醜い部分も見せていることに、励まされる。
とりわけ励まされるのは、義親より実親、親より夫、夫よりじぶんが大切!という女性の思考に遭遇したとき。
そう、女って、人間って、きれいごとだけでは、とてもとても生きていけない!醜さを抱えつつ進んでいくんだ!
と励まされてきたよ、わたし。
ひさしぶりに目に付いたトピックを読んでいたら、じぶんの中から、オリジナルな意見が染み出てきた。
かつては、トピックと返答を読んで、ほおお、とか、面白い、とか、受身な気分が主体だったのに。
なぜなら、じぶんの中に浮かんだ返答は、すでに誰かが同じような返答をしてくれていたから。
・・・・トピック内容。
結婚前から両親に仕送りをしている婚約者が、結婚後も仕送りを続けたいという、夫婦の収入が他家に流れるのは納得できない、私は結婚をやめたほうがいいか?という28歳女性。ちなみに33歳の婚約者は年収900万円超。
それに対する意見は、あなたは結婚をやめたほうがいい、という意見、あなたが結婚したいのはお金なのか、とトピ主をなじる意見、収入に対する仕送りの額のパ−セントや仕送り限定期間を義両親と交渉せよ、という会計コンサルティング的な意見などなど。
二百近い返答が寄せられていたトピックだったので、ぜんぶを丹念に読み込んだわけではないが。
たぶん、どの返答にもない返答が、じぶんの中からたちあがってきた。
トピ主も、一部の返答主も、お金そのものの減少に目がいっているけれど。
お金より、お金が入ってくる人間でいること、のほうが大事だと思うんだよな・・・。
別に、大金を稼ぐことのできる人間になれと言っているんじゃなくて。(ビジネス書の人気テーマだが)
必要に足る額のお金が、死の当日まで、入ってくる人間でいること。
そうしたら、お金は失っても、また入ってくる、って思えるのだから。
お金が出て行ってもまた入ってくる人間になるために、旦那さん自身が、いま必要なお金もあるはずで、そのお金を侵害しない程度の額の仕送りはしてもいいんじゃないかな。
侵害しない額がいくらかは、旦那さんの判断でいいんじゃないかな・・・という返答。
かくいう私こそ、もしも今の勤務先からほされたら、出て行くお金だけになる状態になりかねない人間なので、人のトピックをネタに、じぶんに向けてのメッセージが、じぶんの中からたちあがってきたかもしれない。
お金の減少の恐怖から抜け出すには、お金の増減がつづく状態になることだよ、ってことは、意外に誰も教えてくれない。
親も先生も大人も、教えてくれない。(少なくとも私の周囲では)
しかし、そういう恐怖に怯える誰かを見たとき、じぶんで気がつくのだから、それは教えてくれているってことなのか・・・・。