隠すもの

来客前の部屋の片付けと、おしゃれは似ている。
部屋の場合。
表面(床)のほこりやごみを取り除き、見せたくないものを隠し、飾り(花とかインテリア雑貨とか)、ルームスプレーをする。
おしゃれの場合。
髪や皮膚を清浄して、服を着て、メイクをして髪を整え、香水をつける。
プロセスが似ていると思う。
共通の目的は「人目」に備えるということだ。
部屋版プロセスの中の「見せたくないものを隠し」という部分。
部屋の場合は、人にお見せするのが申し訳ない、あまりにも日常的な日用品とか、知られたくない私的行為を指し示す品(と書くと、なんかいやらしい感じだけど、たとえばダイエット本とか、通販健康器具などのイメージにしておいてほしい)のこと。
おしゃれの場合。
それは、自分の容姿の中の、美しくない部分、魅力的ではない部分だ。
これ、実は自分では意外とわからないと思う。
まず、自分の表面上で「隠すもの」「隠したほうがいいもの」を知る。
「隠し方」を知る前にまず、そこである。
この「隠すもの」の発見について、ヒントをもらった人物がふたりいる。
ひとりは滝川クリステル、もうひとりは勝間和代である。
滝川クリステル。この方の一番美しい部分は、なんてったって「顔」である。
バストショットが映える滝川クリステルは、まさにテレビ番組のアナウンサーにふさわしい美貌を備えた人物なのである。
彼女が映し出されると、テレビ画面のフレームが額縁となり、部屋に飾られた美しい絵のごとくだ。
さて、今年の春先くらいに、雑誌「ミセス」の表紙が、滝川クリステルだった号があった。
その表紙の滝川クリステルは、両手を背後に隠したポーズをとっている。
腕の先端にある手を隠すと、終点を隠すのと同じことになり、腕の長さがわからなくなる。
面白いのは、毎号「ミセス」の表紙になった人物は、その号の中、冒頭にも、モードな服で装った記事が1頁、掲載されるのだが、ここでも、服装ががらっと変わったにも関わらず、同じポーズ(両手を背後に隠す)をとっていたのである。
さらに、表紙では上半身でトリミングされるのは毎号共通だが、内部の掲載記事では、服装の着こなしを見せる雑誌である以上、たいていは、全身像が掲載されているのに、滝川クリステルは、七分身でトリミング。
足の先端が隠されている。ということは、足の長さがわからないということである。
滝川クリステルは、決して、スタイルが悪い人というわけではないと思う。
ただ彼女の場合、あまりにも顔が美しいので、ほかの部分が同じ水準に追いつかなくて、バランスをとるのに工夫がいるのではないだろうか。
「ミセス」担当に限らず、おそらくプロのカメラマンは、被写体の美しさを際立たせるのはどうすればいいか、を即時に判断できる能力を持っているのだろうと思う。
被写体の美しいところを見抜く目と、隠すべきところを見抜く目、両方を持っているのではないかと思う。
そんなふうにして、滝川クリステルのことを考えていたら、ちょうどそのころ、六本木ヒルズ内で滝川クリステル起用の、テレビ「ビエラ」の宣伝プロモーションに遭遇した。
そこには、等身大全身像の滝川クリステルのスチールがあった。
バストショットでもなく、上半身でもなく、七分身でもなく、手も隠していない。
滝川クリステルは、全身白のパンツスーツといういでたちだった。
あ、そうか。と気がつく。
膨張色の白で全身を覆う。胸元から足先まで。
横の断線にあたるものが入らないので、身長の印象を、実寸から少しでもマイナスしてしまう危険要素がない。
白がレフ板効果のように、美しい顔をいっそう輝かせ、その一方で、白は身体の輪郭線を曖昧にする。
ただしそれ以上、身体の原型よりも余分な膨張をしないように、ふわっとしたワンピースやスカートではなく、ストレートなラインのパンツスーツで。
こういう隠し方もあるのだ。服のデザインと色による隠し方である。
またちょうどその頃、この滝川クリステルと同様に白いパンツスーツという全身像を起用している、別の人物がいた。
勝間和代である。
その画像は、新刊著書「有名人になるということ」の帯写真である。
おそらくダイエット前の全身像なので、「白いパンツスーツの全身像」という隠し方は、今では必要ないのかもしれないが。
このようにして、滝川クリステルから勝間和代につながったため、では勝間和代が隠したほうがいいものとは、何だろう、と考えてみた。
すでにそれは、勝間和代を写してきたプロのカメラマンたちによって見抜かれているはずである。
出版物やウェブで取り扱われた画像の記憶を、たぐりよせてみると。
それは「目」ではないか、と気がつく。
勝間和代のパーツについてはよく「鼻の穴」が槍玉にあがっているようだが、通常「鼻の穴」は、どんな人でもカメラマンは写らないように配慮しているはずだ。
勝間和代を美しく撮るために隠すべきところは「目」である、と判断したカメラマンは、彼女に笑顔を要求する気がする。
笑顔になると「目」が消失するからだ。
だから、アルカイックスマイルでは駄目である。思いっきり笑顔じゃないと。
(ちなみに、以前から、俳優のトム・クルーズの映画ポスターが、圧倒的に「横顔」が多いのはなぜだろう?と思っている。
美しさのレベルが違う人だけれど、もしかして彼の最も美しいところは「横顔」なのかもしれない。
身体の印象より、顔の印象が強烈な人であるし。
もしも「横顔」の画像を要求しているのが、撮る側ではなく、撮られる側(トム)だとしたら、自分の美貌がベストのパッケージで、マーケットに流通すべきだというプロ意識なのだから、それはそれでさすがです。)
ふりかえって、自分について、考えてみる。
私が隠すべきところは、もちろん顔なのだろう。
だからといって、アラブ諸国の女性のように、全面隠して生活するわけにもいかないし。
滝川クリステル勝間和代のように「見えているけど隠す」という方法について、これから、自分なりの「隠し方」を、試行錯誤していく必要がある。
「隠し方」を考えているのに、後ろめたさより、前向きな空気にとりまかれている心地である。
ありがとう、勝間、クリステル。