バットマン ダークナイト ライジング

テーマは、「リセット」。
映画を見た直後は、そう思った。
ふたりの女が登場する。
ひとりは、父の呪縛にとらわれた女。(ということは、結末近くに解るのだが)
もうひとりは、累積された自分の犯罪履歴を、自分の過去を、削除することを望む女。
ブルース・ウェインが選ぶのは、リセットをテーマとしたときに、よりふさわしい女のほうである。

ブルース・ウェインは、大富豪のお坊ちゃんだ。いくら幼い頃に、両親を殺害されたトラウマを持つとはいえ、毎回、彼の前に現れる悪役たちの、人間的な経験値の深さと悲惨さには、かなわない。
ウェインに強いられる過酷な試練は、身体的にも精神的にも、その悪役がたどった疑似体験に近い。
(今回も、悪役が生まれ育った恐ろしい環境に、投げ込まれるし。)
ガラスの仮面」の北島マヤが、役になりきるために、その役に付随するリアルな環境をつくって、自らにトレーニングを強いるように、ウェインは、悪役に勝つために、悪役と同じ苦しみを追体験しようとする。
まるで、そうすることで、悪役が持つダークな部分を、自分の中にとりこもうとしているみたいだ。
となると、悪役たちは、父なきウェインにとって、人間の持つ、世界の持つ、ダークな部分を教え、のみこませ、成長させるという、本来父が果たすべき教育を、代わって行っているようでもある。
真っ黒なバットマンスーツは、ダークなる者たちを引き寄せる、モテ服だ。
ウェインは、バットマンになって、彼らと出会っていく必要があったのだ。
高級スーツに身を包み、光の世界に生きるセレブ、大富豪ブルース・ウェインでは、ダークな者たちは引き寄せられないだろう、たぶん。
ウェインは、父亡き後、父が不在の状態で、成長しなくてはならなかった。
毎回登場する父たち=悪役たちから、ダークな部分のとりこみが完了し、成長を遂げれば、バットマンスーツを脱ぐことができる。

というわけで、テーマは「リセット」ではなく、「卒業」。
バットマン・ビギンズ」から始まる、父亡き息子の、長い成長物語が終わった、ということだ。

この映画に登場する、父の呪縛にとらわれた女。
父の呪縛といえば、アメリカ映画の王道のテーマ。
しかし、そろそろアメリカ映画のヒーローに、父から自由になる機会が、到来しているのかもしれない。
(ヒロインには、まだ許されていないようだけど。というか、父の呪縛から解き放たれた息子、の対極として、あいかわらず呪縛から逃れていない娘として、オールドスタイルな、滅び行く存在の象徴として、ヒロイン役が利用されていきそうで嫌だけど)
そう思ったのは、昨年の映画、物語の起源を語った「猿の惑星:創世記」で、知能を持った猿のシーザーが、自分をつくった父的存在の科学者と訣別しているから。
自分の王国をつくり、その国の父となるために。いわば、父なるもの、の誕生物語だ。
ええっ、ということは。
父の呪縛から逃れることができた者は、自分自身が父になれるってことである。
結論。
バットマンスーツを脱いだブルース・ウェインは、これから、父になる。(つくる相手とも出会ったようだし)
息子から父になる、一歩手前の映画だったのだ。
この映画の、父の呪縛の体現者(の女)は、死ぬ運命にある。
バットマン像は、父亡き息子の、墓標。もう殻は脱いだ。抜け殻だけが残った。
さよなら、バットマン
とはいえ、クリストファー・ノーランによる「バットマン&ロビン」が製作される可能性も匂わせる結末だったけどね、うう。