SHERLOCK シャーロック

BBCドラマ「SHERLOCK シャーロック」がいいな、と思う理由。
ひとつは、現代語への翻訳っぷりの面白さである。
時代が変わるとなると、キャラクターの造形のし直しだけでは、済まない。
犯罪の形も変わる。
丸ごとの、リ・スタイル。リ・デザイン。SFに近いかもしれない。
番組制作チームは、デザイナー集団でもある。
例えば、女嫌いのシャーロックにとって、唯一無視できなかった女、アイリーン・アドラーが、現代に生きるとすれば、どんな職業なのか?
その翻訳結果が、あれなんだなあ。
生身どうしの初対面で、シャーロックの前に現れたアイリーンの服装は、勝負の先手にして、不意打ちなのである。
服装は、その人が自己発信する情報のひとつ。
原研哉の著書「日本のデザイン」によると、東洋西洋ともに、服の布地に施された豪奢で複雑な文様は、外交上、他者に威嚇を与える役目もあったらしい。
それはデザイン上のインパクトだけではなく、我が国は、このような文様を織りあげるだけの文化と、技術を持った国である、という情報を与えることに等しいからなのだろう。
アイリーンは、シャーロックに、情報を与えない、という戦略をとった。
シャーロックが、それまでいかに服装から情報を得ていたかが、如実にわかる。
未知の人間と知り合う前に、情報を獲得してしまうシャーロックの能力を初手で封じ、生身のアイリーンと向き合うしかない状況をつくりあげる「服装」なのである。
現代語翻訳モノという面白さに加えて、「SHERLOCK シャーロック」そのものが持つ、「二人単位」というドラマツルギーも、いいんだよね。
あくまで、中心軸はシャーロックなんだけど、「シャーロックと誰々」という、二人単位の関係性が、複数あって、それぞれがドラマを生む。
「誰々」に入るのは、ワトソン、マイクロフト、モリアーティ、アイリーン・アドラー、モリーなどなど。
三人以上の関係性には、ならない。
「誰々」の中で、ワトソンだけが、シャーロックの分身というか影というか、代行もできる人物になっているから。
だから、シャーロックの代行で、「ワトソンとマイクロフト」「ワトソンとアイリーン」という図のシーンは、登場する。
ワトソン、モリアーティ、シャーロックが三つ巴になるシーンは、「<シャーロックとワトソン>とモリアーティ」という、分身だから二人でひとりぶん、なので、これも「二人単位」のドラマの現れである。
それぞれの「二人単位」の関係が生み出すドラマの濃いこと、深いこと。
むしろ「二人」だからこその、親密と緊密ゆえか。
シャーロックが保有する、さまざまな「二人単位」の関係性、その中のひとつが(モリアーティの死によって)壊れたあと、シャーロックをも、かりそめの死の状態になって姿を消すのは、ひとつの関係性の死に対して、他の「二人単位」の関係性をすべて断って、喪に服しているようでもある。
シャーロック、という他者の情報の読み解きに長けた人物、彼自身の情報を掘り出すことができるのは、服装ではない。
「二人」という最小単位の人間同士の関係性が、彼の情報を、魅力を掘り出すツールになる。
もしもワトソンが、シャーロックの分身・代行の役割を持つ人物であるならば、シャーロックが人間として、社会的にダメな部分を補う役割も、あると思う。
となると、ワトソンには、いい人、なイメージ戦略が必要だと思う。
コートを羽織り、黒のトーンで固めた、おそらく高級ブランドの、とんがったイメージの服装を着こなすシャーロック。
対して、ワトソンの服装は、基本カジュアル、ジーンズはユニクロなんだそうだ。
アフガニスタンの戦場経験も持った、れっきとした医師なんだけど、いい人、なワトソン。
そのイメージ戦略のひとつが、ユニクロジーンズではなかろうか?
他者に、威嚇も脅威も与えない服装として、セレクトされたのがユニクロだとしたら、日本人としては嬉しいことかも。
服装で、威嚇などを与える必要のない時代と、国に生きる者のためにつくられた服、それがユニクロなのかもしれない。
もちろん、医師ワトソンが着ている、という、中身があるからこそ、威嚇を封じ込める役目が生きてくるんだけれど。