白のジャケット

この春、白のジャケットについて、さんざん悩んでいた。
初夏が近づく頃、女性ファッション誌では、白のジャケット特集が組まれることが多い。
人間は、見たもの、知ったものに、欲望してしまうんだよね。
雑誌を見なければ、もともと欲望が生まれることは、なかったかもしれないのに。
季節感を先取りすることが、何より粋とされる伝統的な日本文化の考え方は、洋服のコーデにも流れているようだ。
初夏に、ダークな色合いのジャケットを着ているのは、粋じゃないってことである。
白のジャケットについて、いろいろ考えてみた。
「初夏の通勤コーデの、必須アイテム!」なんて感じで、雑誌ではアピールしている。
通勤、ということは、仕事中に着るもの、ということになる。
白のジャケットを着るのがなじむ仕事(労働)って、なんだろう?
私がイメージしたもの。
それは、自分の上半身を、何かに接触することなく、労働場所そのものが清浄で、空調も整備されている労働、だった。
これにあてはまる労働って、お客に対して、すきのない身なりをしていなければならない、一部の接客業じゃないかな。
ホテルのフロントとか、高級ブランドの店員とか。高級クラブのホステスとか、一日中鎮座している、大会社や百貨店の受付とか。
私は事務職なのだけど、事務職というのは、手や腕周りが、けっこう汚れる。気づかないうちに、埃もつく。トナーを取り替えることもあるし。
外を回る仕事の人と比べれば、一日中室内にいるので、汗はかかないほうだと思うけれど、すべての人間の身体にとって完璧な空調なんてないから、汗はかいたりする。
それに、入力作業が8割、という状況なので、肩が凝るからジャケットを常時着ることも、ありえない。
となると、通勤時のおしゃれとして白のジャケットを着る、ということになるのだけど、通勤時こそ、どんな天候になるかわからない屋外や、服が接触する可能性の高い電車内など、汚れる可能性が高くなる。
これ、後に、バッグの実用性について考えたときにも該当したんだけれど、服飾製品には、使い手のシチュエーションが限定されるものがある。
どこに移動するにも、送り迎えのお車つきで、埃や汚れる可能性のある場所に行く機会もなく、風雨にさらされることもない人に、限定される品物が。
それでも白のジャケットを着たい場合、今シーズン限りで着倒す想定で、安価なものを買うという手もあるらしい。
ためしにZARAで、白いジャケットをまじまじ見てみると、白いだけに、安価な布地であることがわかりやすい。
もともと、ZARAそのものが、最新流行のものを、素材の品質は高いとはいえないが、求めやすい価格で提供するから、旬のデザインをいっとき楽しんで、というコンセプトでつくられているのだと思う。
後日、悟ったんだけど、新しいもの、旬のもの、を、身に着けることは、私は最新流行の品物を身に着けるだけの、優れたアンテナを持つおしゃれな人間なのよ、という記号を買っていることに繋がるんだよね。
もちろん、最新流行の、旬のアイテムは、それだけで、見えないパワーがあって、縁起物を身につけるような感覚もあると思うんだけど。
そういえば、学生のころ、歌舞伎大好きで、卒業後も数年間、歌舞伎の舞台を見に行っていた。
廓が舞台の演目には、ほぼ必ず「花魁」が登場するが、花魁は、着物の帯を、逆に結んでいる。
つまり、結ぶ側、ボリュームが出る側が胸の下で、平面的な側が、背中にくる。
前結びされた帯が、前にかがむ動作を邪魔して、手仕事ができない。でも花魁には、手仕事の必要はない。
つまり、前で結ばれた帯は、労働をしなくていい女のしるしなのだ。
白のジャケットも、微妙にそんなニュアンスがあるような、気がする。
などと、いろいろ考えた結果、私は白のジャケットを買わないことにした。
たぶん今後も買わない。
つまり、白のジャケットは持たない。
代わりに、初夏からの季節感アイテムとして、白のバッグをとりいれることにした。
白のバッグは、どんな服装にも合うし、「指し色」になるだけではなく、「指し夏」効果もあると思う。
バッグなら、あらかじめ防水スプレーなどで対策をしておけば、かなりの汚れはふせげるし、ジャケットよりずっと持続期間が期待できる。
その白いバッグを買うのにも、経緯があったので、それはまた後日。
白のジャケットより、白のバッグ。これが結論である。