買わない練習

突如、服装について関心を持ち始めたおかげで、しばらく赤字状態が続いた。
つまり、月額の収入より多くの支出をしちゃった、ってことである。
その分、貯金から取り崩しである。
原因は明らか。
超過しちゃったのは、服飾費だった。
これはいけないと、あがいてみた。
まず、情報を遮断する方法。
そもそも、対象を目にしなければ、「欲しい」「買いたい」という気持ちは起こらないのである。
つまり、雑誌も見ない、売り場にも行かない。
しかし、これはやめた。
コム・デ・ギャルソン川久保玲も、「中身」が新しい人とそうでない人では、ただTシャツを着ているだけでも絶対に違う、と朝日新聞のインタビューで答えていたではないか。
情報をとりいれつつも、自分の意思で取捨選択できるような術を身に着けたほうが、長い目で見たら、いい作用を及ぼすはず。
「買わなかったノート」も、つけてみた。
欲しい!と思っても、即座に買わず、そのアイテムと価格を、ノートに書いておく。
見事、買わずに済んだら、私は○○円分のお金を使わずに済んだ、えらいー、と自讃する。
しかし、このノートの方法は、失敗する。
欲しいと思ったアイテムが10アイテムあるとすると、そのうちの半分のアイテムは、時間を置いてから、結局買ってしまっていた。赤字状態は、変わらない。
ふと、思った。
非おしゃれな自分は、普通の女子が10年くらいかかって行う、服飾の買い物を、今、短期にいきなり行おうとしているのではないかと。
この、買う期間は、ある程度、必要悪として、通らなくてはならない道なのかも、と。
以前、ものすごーい大食漢だったのに、胃病になって、胃を部分切除して、後、少食しかできなくなった知人がいて、そのとき、胃には、一生で処分できるキャパというのがあるんじゃないだろうか?と思った。
「ずっと普通の量の食事」の人と「大食漢の時期→少食の時期」の人と、「少食の時期→大食漢の時期(あまりなさそうだけど)」の人、どれも、結局、胃の、生涯処分量は同じになるんじゃないだろうか、と。
服飾は、喫煙やアルコールや大食とちがって、肺や肝臓や胃の病気などの類の、副作用が起こらない。
ただお金の消費という副作用だけが、起こっていく。
そしてお金は、胃の生涯処分量よりもはっきりと、使用限度量(額)がある。
だから、必要悪かもしれないけれど、なるべく早く、この赤字消費期間を、終わらせなければ。
欲しいと思ったアイテムが現れるごとに、いろいろと、買わない練習をした。
使用頻度・使用状況をイメージしてみる。
すでに類似した品を持っていないか、考えてみる。
手持ちの品で代用できないか、考えてみる。
同種のアイテムを、来年に買おう、と「待つ」楽しみのほうを取る。
いろいろとやってみた結果、この赤字消費期間を終わらせることができたのは。
結局、「自分の服装のルール」を確定し、四季分の、ワードローブの差し替えが終わったときだった。
つまり、一年近く、赤字期間がつづいたのだった。
これが自分にとっての「必要悪」の期間、「少食」後の「大食」の期間だったのだろう。
「自分の服装のルール」には、二種のルールがあった。
ひとつは、イメージコンサルティングで教わった、服装そのもののデザイン、色、素材のルール。
いわば外面的なルール。
これに加えて、内面的なルールも、必要だった。
「内面的な服装のルール」があることに気が付いたとき、買い物中毒から、抜けることができた。
そのテーマは、また後日。