岡田斗司夫FREEex「オタクの息子に悩んでます」を読む〜その4〜

「その3」からのつづき。
思考のアレンジ:日本人全体の問題として、とらえてみる
見知らぬ男性から、通りすがりに「ブス」と言われることについて、常々思っていたことがある。
それは、十年前、二十年前には、こんなことなかったんだけど??という疑問だ。
もちろん、私の老化とともに、ブス度も増した結果なら、理屈が通るんだけど。
私にブスと言っていく男性は、中学生や高校生(つまりこども)ではない。
老人もいるけれど、たぶん二十代〜三十代中心。スーツを着た、出勤中か移動中の社会人も多々含む。
つまり世間的にいえば「大人」の男性のはずだ。
(一番若かったのは、就職説明会の会場に入っていった学生かなあ。
シチュエーション的に、年齢範囲がかなり絞られるもの。二十一、二歳ってことになるよね。あとで、その就職説明会を行っていた会社をネットで調べてみると、薬局・介護事業の会社だった。いわば傷ついた人を相手にする仕事だね。彼、この会社に入社したのだろうか。)
とにかく、成人した男性が、すれちがった女に「ブス」と言っていく。
それが、2010年代の東京で、私が生きる場所と時間で、起きている現象だ。
「その3」で、もしかしたらすれちがう女に「ブス」と言う行為は、女にダメージを与えるためではなく、その女を獲得するかもしれない男にダメージを与えるためではないかと、思った。
あるいは、他の男が既得したものの価値を貶めることで、男にダメージを与える行為。
遠回りだし、時間はかかるかもしれないし、成功する確率が高いとも言えない。
(ダメージを被った女自身が、男女市場に参戦する意欲喪失をする確率なので)
だが、自分の身を安全圏に置いたまま、他の男にダメージを与えられる可能性がある。
たった二文字の言葉を告げるだけで、最小の力で、他の男の見込み利益や既得利益にダメージを与えられる。
だとしたらこれも、成人の男としての、ひとつの生存戦略かもしれない。
「その3」で、回り道による思考の拡大をしたときに、思い当たったもうひとつの回り道は、内田樹が繰り返し指摘している、教育に関わる現象のことだった。
もう何年も前から、教育にも、市場原理が参入してきている。
最小のコストで、最大の買い物ができる消費者が賢い。教育に対しても、その消費者マインドが入り込んできている。
同年齢集団の中で成績を競わせる、という状況を大人たちが与えたら、こどもたちはどうするか。
自分が置かれている集団の中で、上位になることが、目的だとしたら、最小の力(コスト)でその目的を達成するには、どうするか。
努力をして自分の学力を高める必要はない。集団内の、他のこどもを、勉強どころではない状態に追い込めばいいのである。
他のこどもの学力が下がれば、集団そのものの平均学力が下がり、自分自身の学力は、向上努力をしなくても、集団内で相対的に上昇する。
しかし、それが繰り返されていくと、総体(日本のこども全体)の学力が低下していくということになる。
・・・・などと、いうもの。あくまでも、私の受け取り方なので、内田樹の本意とは、ぶれているかもしれませんが。
この現象は、教育に限ったことではなく、社会人になって所属する組織内でも、同じ手法を使っている人物がいると思う、という内容を、このブログ内の別記事「嫌いな理由」で書いた。
組織内での、自分の既得権を守り続けるためには、自分の仕事能力を向上させる努力をせずとも、自分の既得権をおびやかす能力をもつ組織内の他の人間を、自分のエリアから追いだしつづければよい、という手法。
それをすることで、組織全体の仕事力、と、のびしろは、失われるが、個人の既得権は守られる。その個人が払うコストは最小にして。
でも、それも、組織内を生き抜く手法のひとつ、その人の生存戦略。(だけど私は嫌い)
もしも恋愛市場で、男女の市場で、その手法が使われたら、どうだろうか。
私に、この思考の道、着地させることができるだろうか?(汗)
→このつづきは、「その5」で。