岡田斗司夫FREEex「オタクの息子に悩んでます」を読む〜その5〜

タイトルの書を参考に、「通りすがりに見知らぬ男性からブスと言われます」という自分自身の悩み相談にトライ、5本目の記事になってしまった。
まとめなくては、そろそろ。
もともと私がこのブログに綴っているのは主に、可能な限り、ブスと言われないようにするための、外面的な試行錯誤だった。
でも、岡田斗司夫の思考ツールをいくつか自分でも使ってみて、別な視点や考え方が、見えてきた。
ブスと言われる悩みのモトは、解決できない。
できるのは、悩みによる苦痛を軽減すること。
実は私が受けている苦痛は、身体的(外面的)なものではなく、心理的(内面的)なものである。
自分でコントロールできるのも、そこ。
私をブスと言う人は、その人の主観に従った行為をしている。他人の主観はコントロールできない。
外面ではなく、内面の問題なのだから、ブスと言われたときの、私の心の苦痛の軽減をはかればよい。
(でも外面的な試行錯誤は、個人的に楽しいから、今後も続ける)
そのためには、「自分の心」を納得させることができるような、答え、思考を見つける必要がある。
方向を変えて、通りすがりにブスと言う男性側の気持ちになって、考えてみる。
ブスと言う男性の行為の、その深層の心理を、考えてみる。
すると、本来、男性が、女性にダメージを与えるメリットは、ないんじゃないか、と気がつく。
じゃ、なぜメリットのないことをするのだろう?と考える。
いや、メリット(の見込み)があるから、するのだ。
生物学的なメリットに値するのは、女性ではなく、自分以外の男性にダメージを与えることである。
もちろん、男性が、自分自身のモテ度を向上させるのも、メリットの(見込みの)ある行為である。
だが、自己の力の向上という努力は、コストを払うということである。
できればできる限り、コストを払わない方法はないものか。
それには、他の男性の力をそげばよい、貶めればよい。
他の男性が女性を獲得する機会も、できるかぎり阻害すればよい。
通りすがりの女は、女である限り、他の男に既得されているか、または獲得される見込みがある。
既得した男に対しては、その既得したもの(女)の価値を貶め、獲得見込みのある男に対しては、自信を失った女が市場から辞することで、獲得機会を阻害できる。
非常に成功確率の低い方法だが、こちらが払うコストは、ほぼないも同然。できるだけ数多くこの方法を実行すればするほど、成功確率は高まる。
それも男としての、生存戦略のひとつだ。
・・・・・・という感じだ。
最後のほう、苦しい理屈かな。
でも、この考えに行き着く前と、後では、私自身の「心の苦痛度」が、ぜーんぜんちがうものになったのを、今感じている。
なーに言ってるんだよ、ブスな女にブスと言ってるだけだよっ、と当事者の男性は笑うかもしれない。
でも、男が、女にダメージを与えても、何のメリットも得られない。
この発見だけは、なんだかすごく信じられるし、確信が持てるのだ。何の根拠もないけど。
だから、もしも、自分に娘がいると仮定して、娘から、通りすがりにブスって言われる、と相談されたとしたら、こうやって答えよう。
もしも、女性であるあなたが、通りすがりに見知らぬ男性からブスと言われても、それは、あなたにダメージを与えようとしているのではない。
ダメージの目標は、あなたの背後にいる、自分以外の他の男性である。
子宮の中に閉じ込められて、じっと待って、たまたま最初に出会った精子カップリングをする卵子とちがって、あなたは自由に動ける、精子も選べる、出会った精子を選ぶことなく、すれちがうことができる。
現代の、ぴかぴかの、元気いっぱいの卵子ちゃんとして、明るく楽しく毎日を送ろう!
これで、愛のある回答になったかな。
ああっ、ブスと言う男性の側への愛が、まだ欠落している。
ええっと、男性の側に言うとしたら。
それもあなたの選んだ生存戦略であれば、それでいいと思うよ。
ただ、類似した手法で、日本のこども全体の学力が下がっていくように、日本人全体のモテ力が下がっていきかねない、というリスクも、はらんでいるよ。
健闘を祈る。
という感じかな。着地できて良かった。
タイトルの書の元である、岡田斗司夫朝日新聞「悩みのるつぼ」は、現在も連載中。
今さらながら気がつく。「悩み」っていう漢字、立心偏、「心」の部首だね。
どんな悩みも、心の苦痛の問題なんだ、きっと。