京都旅と、立食パーティのコツ

旧い建造物は、人間並みに個性がある。
先週、京都に行って、そう思った。
さまざまな寺社を巡り、そのときの印象を思い起こすと、思わず擬人化してしまうのである。
下鴨神社は、高貴でもの静かなおばあさま。
八坂神社は、物欲も虚栄心も年齢相応にある、華やかな二十代女性。
ギャルっぽい地主神社
ねねの寺と言われる高台寺は、ふくいくとして豊かな中年女性。とても女性らしい寺だった。
(本当に強運を持っていた人間は、秀吉ではなくねねのほうで、それを感知したからこそ家康は、秀吉関係者をほぼ全滅させておきながら、ねねは大切にしたんじゃないかなあ、と思った。)
清水寺は、公私ともに、成功しているパワフルな中年男性。
南禅寺の山門は、組織の中でリーダーとして活躍する男性。
知恩院の山門は、クールで、組織内ではなくソロで活躍する男性。
それに、金閣寺銀閣寺。
金閣寺は、バブリーな男性で、銀閣寺は、自分の美学をおたく的に追求する草食系男子。
金閣寺は、来訪者、他人目線を意識したつくりだ。
来訪者を、豪華な、奇をてらった演出で、驚かそう、楽しませよう、という意図を感じる。
銀閣寺は、他人目線ではなく、自分目線。
ひたすらに、自己の美学の具現を目指したもの、と感じる。
ちょうど、東求堂の同仁斉が、限定公開中なので、見学。
足利義政が耽溺した文房具を、義政の指示した並べ方どおりに展示しました、というガイドの説明を受け、義政はオタクだ…と確信する。
金閣寺は、見た目の派手さに驚く即効性があるが、銀閣寺の味はじわじわと長期にくる。
自分にはまだ及びもつかない、洗練された美学の未到達エリアがあると感じさせる。
京都から帰った後、あるコミュニティに参加して、セットになっているカフェでの立食パーティにも参加してみた。
人が、今の自分よりは美しくなりたいという思いを抱いたり、おしゃれをしたりする、その根本には結局、他人から好意的に受け止められたい、つまり人とつながりたいという望みが、あるのではないか、と思ったのだ。
だとしたら、私は、知らない人と(実体どうしで)会話をかわすこと、をしたほうがいいのではないかなあと。
ここ数年、既知の人と会話をすることはあれど、未知の人と会話をする機会は、ほぼないことでもあるし。
さて、その会を終えた感想。
もともと対人は苦手なので、緊張はしたが、会そのもののは楽しく会話することができた。
しかし帰宅したとき、ほんのり憂鬱なモードが自分の身体に染みていることを感じる。
原因は、私が、立食パーティーのコツを知らなかったためだ。
グループに分かれてトークをしたが、同じグループで、おそらく私と同様に「立食パーティーでの行動のあり方」に、慣れていない人が複数いた。
飲み物をとり、トークをしたテーブルに近づいて、迷っていたところで、座らないんですか?と声をかけられたので、やはり同じテーブルに座るべきかなあと考えて、着席。
そこから、何気なく途中で中座する、というタイミングがつかめず、複数だけれど同じ人物と会話をしつづける、という状態をすごす。
帰宅してから、会そのものは楽しかったのに、妙に疲れているのはなぜだろうと考えた。
すると、長時間、同じ人物と会話をしていると(途中で何人か入ってきた異なる人もいたけれど)、その人自身の持っているエネルギー、気、オーラのようなものの影響を受けてしまうんじゃないかと、思った。
華やかでプラスのオーラを持っている人と長時間話をするのなら、こちらもプラスのエネルギーをもらえるのだろう。
しかし、残念ながら、誰しもがそういう人間ではない。私も含めて。
特定の人物の、どちらかといえばマイナスのエネルギーの影響を受けないために、さまざまな人のあいだを「巡る」。
巡って、知らない人と顔をあわせて、とりとめのない会話をして、また別の人に会う。
それが立食パーティーの行動の仕方なんだと、気がついた。
ちゃんと、そういう正しい行動をとっていた人が会場内には、多数存在。
人のふりみて、学ぶということだね。
その人が自分にとって、プラスのエネルギーを持っているか、マイナスのエネルギーを持っているかは、その場では見抜けない。
長時間触れると、結果的にどちらだったかが、解るのだろう。
あるいは、慣れてきたらもっと短時間で、または知覚のようなもので、見抜けるのかもしれないし。
この、立食パーティーの行動のコツは、京都の寺社巡りを想起した。
いろいろなタイプの、個性や味の寺社があって、自分にとってプラスのエネルギーを感じる寺社は、人それぞれにちがうはず。
だから巡るのだ。
巡ってみて、あの人(寺社)は、自分にとってプラスのエネルギーを持つ人(寺社)だったなあ、と思い起こす感じ。
私の場合は。
さすが日本一の古都だけあって、どの寺社もそれぞれに魅力的で、プラスのオーラがあったけど、今回巡ったなかで、もう一度会いにいきたいなあと思ったのは、下鴨神社銀閣寺、知恩院山門、高台寺かな。
立食パーティのほうは、今度は正しい行動をとることを目標に。
ちなみに、秋の京都の黄金期は、11月の紅葉シーズンかもしれないが、10月の京都は、どこに行っても金木犀の香りがただよい、「香る京都」を堪能した。
それから、立食パーティーの行動のコツから、もうひとつ想起したもの。
こういう「生き方」をする人もいるんだろうなあと、いうこと。
長期間同じ人物とつきあわず、さまざまな人物を巡っていく生き方。
人によっては、そのような生き方こそ、マッチする場合もあるのかもしれないと。