凌駕しないユニクロ

ユニクロの、いいところ。
それは、着る人を凌駕しない、ということではないだろうか。
服に凌駕されてしまったら、人間が服の引き立て役になってしまう。
一流ブランドのショーモデルは、並外れて美しい身体を持ちながらも、あくまでも服を主役として引き立てる「ハンガー」の役割に徹することができるプロなんだそうだ。
その点、日本のファッション誌のモデルや、東京ガールズコレクションのモデルは、自分の個性がどうしてもにじみ出るようで、似合わない服装と、似合う服装があったり、服よりも、着ている人間の可愛さや魅力に目が行ったりする。
たとえば「CLASSY」の表紙モデル、小泉里子は、似合わない服のタイプが如実に現れる人だと思う。
彼女自身の容姿の可愛さがあるので、似合わない服装をしていても、それでも十分絵になっているけれども。
ドレープが入る服、セクシーな雰囲気の服、お嬢さんモードが強い服になると、とたんに似合わなくなるのが、彼女である。
悩んだあげく、彼女はキュート・ボーイッシュのタイプじゃないかなあと、素人判断した。
小泉里子が最も似合うのが、ショートパンツだったから、そう思ったのかもしれない。
ちなみに「オッジ」の表紙モデル、絵美里とリーザは、ふたりともファッショナブルタイプではないだろうか。
リーザのほうがより辛口で、ハンサムでマニッシュな服装は抜群に似合うけれど、お嬢さんっぽいフェミニンな服装になると、とたんに似合わなくなる。
絵美里は、英国のキャサリン妃っぽい感じで、ファッショナブルだけど、お嬢さんなフェミニンも着こなせる感じである。
表紙モデルが似合う服装って、自然と雑誌そのものの服装の傾向をも、決定していくものかもしれない。
さて、最近のユニクロのCMや広告のモデルを観ていると、ショーモデルタイプを使っているなあ、と感じる。
ショーモデルのレベルともなると、ユニクロを、凌駕しないことが出来るのだ。
個性を持った人間をモデルにしたとたん、着る人に、ユニクロが凌駕されてしまう。
でも、ユニクロが宣伝したいのは、着ている人間ではなく、服のほうなのである。
モデル>ユニクロ現象が如実に現れてしまったのが、シャーリーズ・セロンオーランド・ブルームを使ったときだったと思う。
シャーリーズとオーランド自身のオーラがありすぎて、ユニクロの服があきらかに色褪せてしまっていたから。
でも(演技派ではない)ハリウッド俳優を起用しておいて、オーラを消せと要求するのも矛盾しているし。
ショーモデルは、匿名性を持たせることができる点において、プロなんだと思う。
匿名の人間が着る服。
もしかしたらそれが、ユニクロなのかもしれない。
....なんだか、ネット時代にふさわしい服である。