「ワークシフト」著者セミナー:私的メモ

「ワークシフト」著者リンダ・グラットン教授のセミナーに参加した。
400人募集のことろ、満席なので、その覚悟でお越しください、っぽい内容のメールが事前に届く。
というわけで、パイプ椅子がぎっしり詰められた会場内座席での、居心地の悪い状態での受講となる。
日ごろ私は、セミナーとか、映画とか、美術展とか、本とか、何かひとつでも得るものがあれば、その全価格の価値はあったと思うことにしている。
本一冊の中でも、たったワンセンテンスが気に入れば、このワンセンテンスのためにこの本を読む価値があった、と受け止める感覚。
なので、メモをとる元気が出ない居心地状態のこのセミナーでは、メモをとらず、感覚に任せて聞いていることにした。
何か自分にひっかかるもの、自分の中に入ってくるものがあればいいや、程度の感覚。
ひっかかってきたもの。。。
「採用基準」の著者伊賀泰代氏が、対談中に、「40、50代の不安に比して、30代未満の若い人はこれから到来する未来にわくわくしていると思いますが」っぽい発言があった。
その意味は、若手には、これから迎える未来があって、それに向かって備える時間があるから、ということだと思う。
対して、セミナーが終わって、下りのエレバーターの待ち行列に並んでいたら、背後の女性2人の会話が耳に入ってきた。
「若い人はこれからくる未来にわくわくしているって言っていたけれど、うちの息子の様子を見ていると、若い人も40代以上と同じ状態(不安)よね〜」
そう。そうなんだよね。
もともと「ワークシフト」の内容は、知的エリート、経済的エリートの人、または将来そうなる能力や財力を持った人々を対象にしている、未来の対処法だという感想を持っていた。
知的にも経済的にも高い能力を持っていない場合は、対象外のような。
だから、知力、経済力を備えた人、それらを手に入れる要素を持った若者は、これから到来する未来のかたちにわくわくしているかもしれない。
でもそうでない場合は??
もうひとつ、ひっかってきたもの。
リンダ・グラットンの発言の中に、「知力・財力の問題だけではなく、そういう能力を高めようという意志の差も見られる」的なものがあったと思う。
あ、これ内田樹の「下流志向」っぽいなあ、と感じた。
まず上に行こう、という意志を持ち、努力(勉強)をする若者、しない若者、で、差が現れてくると。
そして、思い当たったこと。
数日前に読んだ岡田斗司夫のブロマガの中で、
「ハイパー情報社会は、いろんなものを破壊する。ハイパー情報社会は人から仕事と生き甲斐とそして縁を奪う」
とあったこと。
これ、巨大な文字数を費やしたぶあつい本「ワークシフト」で語られている未来を、とってもシンプルに指摘しているなあ、と。
しかも「ワークシフト」出版の一年以上前に。
著名な研究者であるリンダ・グラットンは、膨大な研究作業と資料をもって、未来を予測中。
400人定員の有料セミナーも満席。
何を信じるかは、パッケージにまどわされず、選択していきたいな。
そんなことを思ったセミナーだった。
ちなみに、ほぼ身動きできない聴講状態で、前列の人がたえまなくガスを発していたのも、居心地の悪さの原因のひとつだった。それって、あまり健康な身体状態じゃないと思うんだけどなあ。
「ワークシフト」以前に、「ボディシフト」が必要な人も、いるかも、と思ったのだった。