点と線

学習って、点が線になっていくことなのかもしれない。
随分前に、タップダンスを二年間くらい習ったことがある。
毎回のレッスンの流れは、基本的な足の動きのエクササイズの後、先生の見本を見ながら、今日の新しいステップを、覚えていく。
「新しいステップ」は回を経るごとに、少しずつ新たな動きが付加され、長くなっていく。
ある程度、ステップの振り付けが連続したとき、初めて、先生が音楽をかけてくれる。
ああ、この曲にあわせて振付けられたステップだったんだ、と解る。
十回くらいのレッスンで、一曲通したステップが完成する。
たぶん、あらゆるダンスの授業が、こんな感じなんだろう。
ばらばらにステップ(点)を、練習していって、あるときそれがつながって、ダンス(線)になる。
ばらばらだったものが、つながったとき、「学び」の達成感が訪れる。
「点」を学んでいるあいだ、「線」の姿は見えない。
「線」の姿がわかっていたほうが、つまらないんだろう。
茶道の学び方も、点と線の感じと聞いたことがあるし、バイオリンを習っていた友人は、楽器のパートごとに分かれて練習を積んでいって、ある日、オーケストラで楽器が集結して、交響曲が完成したときの達成感の大きさったら、ないの、と語っていた。
これも点と線っぽいなあ。
一昨年くらいに、ジャッキー・チェンと、ウィル・スミスの息子でリメイクされた元映画「ベスト・キッド」(原題はカラテ・キッド)も、この点と線の学習法で空手(リメイク版はカンフー)を教えていた気がする。
弟子ダニエルは、わけのわからないままに、師匠ミヤギの指示で、床掃除や塀のペンキ塗りをしていたら、あるときそれがつながって、空手の動きになる。
「点」が積みあがっていって、ついに「線」が姿を現すシーンは、観る側の快感ポイントなのだ。
自分の中の置石を、どれだけの範囲で、何点置いていくかで、線の姿や、線になるタイミングはちがってくるのかもしれない。
この「点と線」の学習という発想は、北川智子の著書「世界基準で夢をかなえる私の勉強法」から得た。
この書籍からは、「点と線」の他に「最短距離と回り道」という印象も得たのだけど。
そのお話は、また後日。