人のカロリー

本当におしゃれな人とは、その人が去ったとき、どんな服を着ていたか思い出せない人。
という意味合いのセンテンスを、最近読んだ、松浦弥太郎の著書の中で見かけ、とても参考にさせていただいているNaoko Kobayashiさんのブログ「誰も教えてくれなかったおしゃれのルール」でも見かけた。
とはいえ、実際にそのような人には、なかなか逢ったことがない。
街中でも、まずその人の着こなしとか、体型とか、服装とか、「着るもの」を含めた、たたずまいに、牽引されるから。
しかし一昨日の朝、逢ってしまった。
家を出て、信号待ちをしていたら、白人男性に突如道をきかれる。
半年に一度くらい、外国人に道をきかれる、というシチュエーションに遭遇してきたけれど、一昨日は、その人全体を包む印象が素敵だったのに驚いて、英語が出てこないあせりも加えて、ただただ緊張。
現在地点が、その人の持っている地図外にあるので、私は地図上の道をたどった指を、空間上に移動させ、「ヒア イズ・・・・・ディス」と間抜けな説明。
方向的には理解してくれたようだったけど、その日は一日中、あの人が無事にたどりついたかな、と心配していた。
さて、素敵な人だったけど、そういえばあの人、どんなかっこうしていたっけ?と思って、愕然。
どんな服装をしていたか、まったく思い出せない。
サングラスをかけていたのがすごく似あっていて、この人の前じゃ、日本人絶対サングラス無理だわ、と思ったことは記憶しているけど。
身軽な格好で、なんかカジュアルですっきりしていたように思うけれど、服の色さえも、思い出せない。
体型も顔立ちも雰囲気も含めて、とにかく爽やかだったことも、思い出せるんだけど。
その人そのもの、が素敵だったので、服装も含めて視界に入ってたはずなのに、印象に残らなかったのか。
そして、冒頭の、センテンスに思い当たる。
ああいう人のことを、いうのか。
どんな服を着ていたか、思い出せないって。
なのに、素敵な人だったなあっていう印象が残るって。
人の持つ力って、すごいな。
食べ物にカロリーがあるように、さまざまな事物にも、エネルギーのようなものが宿っているのではないかと思う。
樹木とか、陽光とか、空気とか、土地とか、建築物とか、服とか、自然や無機物がもつエネルギーは、そこに滞在する人間や、触れる人間に、良い影響を与えることもあれば、悪い影響を与えることもあるように思う。
それらの事物の中でも「人」の持つエネルギーのトーンって、すごく固体差があるような気がする。
私個人的には、「とんがった声の人」「怒っている人」が、すごく苦手で、そういう人に遭った後って、疲労感やダメージ感が強い。
たぶん自分にとっては苦手なエネルギーを浴びているのかもしれない。
逆に、めったに出逢うことはないけれど、そこにいるだけで、良いエネルギーをかもしだす人も、いるのかもしれない。
それが素敵な人、おしゃれな人、ということなんだろうか。
その人の持っている良いエネルギーを、邪魔せず、阻害もしない服を着るということだろうか。
自分にとって、心地よいエネルギーを持つものを選ぶようにする、という点では、食べ物も、住むところも、服装も、ある程度まで可能かもしれない。
だけど、「自分にとって心地よいエネルギーを放つ人」だけと交流して生きていくのは、ほぼ無理だ。
自分のあり方のほうを、どうにかしていくしかないんだろうなあ。
自分の中にダメージを受けても、自分で補修できるような、再生のエネルギーを養っていくような、工夫。
冒頭のセンテンスのような人が、そうなのかもしれない。
一昨日の朝に逢った素敵な人は、突如現れた、ごほうびのようなものであった。