服装日記

二十年ほど前のこと、友人と、日記についての話になって、「日記って、人に見せることを前提にしたものでしょ」という友人の言葉に、はっとなった。
もともと、日記文学の系譜を持つ日本は、日記文化の土壌が肥えた国なのかも。
現代の日記文化はWEBの世界で、狂い咲き状態だ。
日記は、「人に見せるもの」という一面を持っている。間違いなく。
でも、「自分に見せるもの」という一面も持っている。
つまり、自分の客観視。
人に見せることを重視するなら、日記文学並のものを書こうと気張ることになるかもしれない。
自分に見せることを重視するのなら、日々の行動メモ、思考メモ、程度に記す日記で十分。
それって、無意識に、自分を客観視することに、つながる。
ノートに食べたものとそのカロリーを記録していく、レコーディング・ダイエットの手法も、いわば食生活日記だ。
毎日、自分の食生活を客観視することで、無意識のうちに、自制心を育てていく手法のように思う。
食生活日記が、結果的に食べものの量やカロリーを減らして、ダイエットにつながったのだとしたら。
服装日記をつけた場合、どうなるのだろう。
同様の効果をもたらすのなら、私の服の枚数は少なくなるはず。
ものはためし。1月から3月まで、ここ最近の三ヶ月間、私は「服装日記」をつけてみた。
アウターとトップスを全部1頁に書き記して、番号をつける。
別頁に、ボトムスを全部書き記して、番号をつける。
その日に着た、アウターの番号とトップスの番号とボトムスの番号を3つ記す。
一ヶ月記録し終わったところで、集計する。
ひとつの番号を、ひとつきのあいだに、何回着たか。
・・・・・・・
一ヶ月目。
今まで私、同じ服を頻繁に何度も着ているんじゃないか、という危惧感を持っていた。
でも、集計してみると、トップスの場合、最大着用回数のアイテムでも5回。
ほとんどのトップスの、一月のあいだの着用回数は、二回か三回だ。
ボトムの場合、その全体点数は、トップスの半分なので、最大着用回数のアイテムは七回。
それでも、だいたい一アイテム四回以下の着用回数。
こうしてアイテム別に着用回数を記してみると、同じ服を頻繁に着ているというイメージは間違っていたと判明。
所有アイテム数も、十分なんじゃないか、って気がしてきた。
・・・・・・・
二ヶ月目。
秋冬ものの服装日記をつけているうち、春ものアイテムの購入欲がわいてきて、春ものを二点購入。(メリノウールのニット)
秋冬の自分の服装パターンから、春ものとして必要になりそうなアイテムがわかってきたからもしれない、とこの購買活動を前向きに捕らえることする。
・・・・・・・
三ヶ月目。
服装日記をつけること自体、めんどうになってきた。
たぶん、来年、秋冬ものを何点も購入することは、なさそうな気がする。
着用回数が目に見えると、服に対して持っている「不足感」が明らかに減るから。
春ものを1点購入。(ラップ型ボーダーワンピース)
・・・・・・・
四ヶ月目。(今月)
服装日記をつけず。春ものを三点購入。
(コットンのニット、スカート、レモンイエローのカーディガン)
・・・・・・・
全体の所感。
自分の服に対して、所有数も着まわし数も、じゅうぶんじゃないか、という感覚が生まれ、強い不足感は誤解だった、とわかる。
これはまさに、自分に対する客観視。
秋冬ものの服に対する不足感は消え、秋冬ものを追加購入することもなかった。
これって、食生活日記をつけていくと、自然に摂取カロリーが減る、という効果と似ているかもしれない。
だけど、同時に、並行して、春ものアイテムを購入していった。
それは無意識に、冬の状態を参考にして、春の買い足しアイテム像が、見えてきたからかもしれない、と自己都合的に解釈。
春夏ものの服装の摂取カロリーを減らすことができたのなら、服装日記法は成功したってことになるのかも。
(しかも冬のあいだの三ヶ月の記録期間だけで)
たぶん春夏は、服装日記をつけなくても、うまくおさまるかもしれない。
春夏シーズン終盤に、検証予定。