混雑は美しいか 追記

追記その1。
前回の記事で、「何かリンクするものがあれば、混雑(服装の場合「盛り」)は美しくなる」、と書いた直後。
雑誌「VERY」の別冊子「チームVERYの子ども服」に、「リンク」という言葉があるのに気がついた。
少子化の反映なのか、教育費以外の、こども市場、たとえば服飾費も、市場のターゲットになっているらしい。
親子が店舗に来店したら、親の服に加えて子の服も、一緒に買わせるねらいで、大人向けのブランドが、こども服商品も積極的にアピール。
ダイアンフォンファステンバーグが、大人と同じ柄で、こども用ラップ型ワンピースをつくったりとか。(超キュートである)
チームVERYによると、こどもを連れたママモデルの、親子の着こなしのポイントは、リンク。
同じブランド、同じ色、同種の彩度の色、同種の素材、同種のアイテム、同柄など、ママの服装と、こどもの服装のどこかに一点、共通項をつくって、リンクさせる。
これって、こどもという要素が、ママのファッションに対する、「混雑」要素、効果不十分の「盛り」だったってことなんだろうか。
外見のプロともいうべき職業のママならともかく、自分とこどもの服装のリンクまで気を配るって、一般人には大変すぎるような。
追記その2。
代官山蔦屋書店の混雑ぶりを経験するきっかけとなった本「世界で最も美しい書店」には、複数の人物によるエッセイも掲載されていた。
その中に、デザイナーの原研哉のエッセイがあったのは、嬉しい驚き。
原研哉の、書店に関するエッセイなんて、嬉しすぎる。
エッセイでは、人類のつくりだした道具には二通りの種類がある、とし、書物は、器(うつわ)系の道具の系譜であると綴っている。
食器、容器、服、家、集落、都市は、何かを守り、保存するための器系の道具の進化型、書物は、言葉を保存・蓄積する「知の器」であると。
では、それらを保管する、書店とは? 以下引用。
「サーバーやクラウド技術によって人間の感覚を超えたデータの管理が可能になってきた。一生涯を費やしてもその片鱗にも触れられないような巨大データの世界は確かに魅力的ではある。しかし感覚を直接に刺激してやまない書物の集積である書店や図書館も同じほどに刺激的である。創造への喚起力はこちらにもある。書店の本をすべて読むことは出来ないし、図書室の本をすべて読破しようとも思わない。
しかし、見渡す限り書物という光景は、人の感覚で共振できる尺度に編集されたイマジネーションそのものである。」
書物は、器。その書物を保存する書店や図書館もまた、器だ。
器って、中身への敬意なのかもしれない。
服も器系の物質であるとしたら、「中身」への敬意を備えているかどうかが、服の美しい姿ということだろうか。
服も器である、という原研哉の指摘のきらめき。
原研哉の書くものは、いつもイマジネーションを贈ってくれる。