シャツを着る

襟がしっかり立った、細身のシャツを探して、オリアンのシャツを発見した。
手に入れたものの、ケチな性分なのか、磨耗を恐れて、いきなり普段使いには踏み切れず。
まずは、休日に初使用してみる。
肩周りや身頃部分だけではなく、アームホールや腕周りも細身のつくりだが、なぜか、動きやすい。
身体とシャツのあいだに、余分なスペースがあまりないせいだろうか。
ゆるっとしたものを着た場合は、その中で身体が泳ぐような感じになり、素の身体が動きやすい状態になると思う。
しかし、シャツが身体にひたっと(ぴたっとではなく、ひたっと、なのだ)フィットしていると、身体とシャツが、ともに動く感覚。
オリアンが謳う「第二の皮膚」のシャツの感覚を、なまで味わう。
着ることって、どうでもいい問題かもしれないけど、こうやってどうでもいい問題に悩みあぐねていると、小さな未知の感覚が経験できるんだなあ。
しかし、今の身体にひたっと着ている、このシャツを着続けたければ、今以上、太れない。(汗)
チャイナドレスやアオザイは、身体の数十箇所を採寸して、ぴったりしたものをつくるため、身体の一部が少しでも太るとすぐに気がつき、自制するしくみになっていると
聞いたことがあるなあ。
さて、シャツ初使用の休日に、雑誌「Oggi」の最新号を書店で手にとって見る。
すると、オリアンのシャツの記事に遭遇。
「ファッションエディター・三尋木奈保の惚れ込みベーシックアイテムの厳選リスト」の筆頭である。
こういう偶然って、嬉しい。
自分がいいなあと思ったものを、その分野の目利きに保証してもらえた感覚である。
誌面の三尋木奈保のスタイルをじっくり見ると、この人って、「詩」みたいな着こなしをする人だなあ、と思う。
詩の「韻」を踏むような、着こなし。
その韻の踏み方が、ほのかで繊細。
シューズの横のストラップの形と、手首のバングルの形を、類似した系統のデザインにして、韻を踏む。
シューズの横のストラップの形と、ベルトのデザインで、韻を踏む。
シャツのインナーの、同形の二枚のタンクトップを、濃淡二色で重ねて、一色をトリミングのように見せて、韻を踏む。
ベージュのポインテッドトゥパンプスの、つま先部分に入った黒と、黒パンツで、色の韻を踏む。
ブルーグレイのワンピースに、ブルーグレイのストーン風のバングルで、韻を踏む。
パーカーのゴールドのジッパーと、ゴールドのリングのピアスと、ゴールドの太目のバングルと、チェーンネックレスで、韻を踏む。
白のコットンレースのブラウス(裾に丸波型にレース飾りがくる)に、トング部分に丸形の飾りがくる白のトングサンダルで、韻を踏む。
韻を踏むって、類似した線や形が、複数個所に繰り返されることだ。
アンリ・ブレッソンの写真のような技である。
三尋木奈保の着方の、囁くような韻の踏み方は、まねしようと思っても、絶対にできないなあ。
などと、誌面を見ながら感動していたのであるが、オリアンのシャツに付記された説明の中に、このような記述があった。
「”シャツの顔が立つ”ので、たとえばアイロンをかけないでクシャッと着ても、どんなに着くずしても、白シャツならではの清潔感やすっきり感がキープできます。」
ほんとに? クシャッと着ていいの? ということはしわになってもいいの? そういうシャツなの?
よしっ、三尋木奈保と、オリアンのシャツを、信じよう!
休日着としてしばらく使用を経てから、じゃなくて、もうさっそく仕事へも着てっちゃおう!と決意。
毎日の湿度は、30%台という乾燥っぷりの春。
ぼやぼやしていると湿度60%台の梅雨がくる。
今、コットンの春シャツを着ずして、どうする?
(私の部屋には温度計と湿度計と気圧計の3種があって、毎朝チェックする習慣なのだ。)
着た。
意外にも、仕事がしやすかった。
腕周りが細いと、まくった袖が落ちてこないせいかもしれない。
それに、しわになってもいいんだ、という心理的な面での緊張がとれたのも大きい。
春の休日にも仕事にも、着よう、と決意。
とはいえ、その日の夜、オリアンのシャツでサンラータンを食べることになったとき。
シャツに染みをつけまいと、仕事以上の緊張感で麵にのぞむ、自分がいたのだが。