母の日プレゼントに悩む

今週のお題「私のお母さん」
プレゼントと、プレゼンって、似ているなあ、一文字ちがいだ、と、突然気がつく。
プレゼントって、贈り主から贈る相手への、気持ちのプレゼン行為ってことだろうか?
私は、まっとうな母の日プレゼントを一度も贈ったことのない、非道な娘である。
大学生の時点から今まで、親と離れて暮らしていると、毎年、気がつけば母の日が終わっていた、という状態だった。
帰省のときに何かをプレゼントすることはあるけれど、ストレートに母の日に贈ることは、したことがない。
母の日に何もない、という点で、一度もクレームを受けたことはないけれど、母は心のどこかで、ほのかにほのかに期待していたに違いない。
私、非道だ。
昨日、その非道さを改善することができた。
ゴールデンウィークの帰省中に気がついたこと。
それは、母の、着るものに対する変化だ。
みんなでディナーに出かけるおり、気温的、状況的にちょうどいい、春もののツイードジャケットを、母は着ようとしない。
なんで着ないの?と聞くと、とにかくリラックスできるものじゃないと着たくなくなった、という返答。
ジャケットのちょっとしたかっちり感でさえも、リラックス度を削ぐことになるらしい。
ただ、カーディガンで外出するには寒い状況なので、薄地のブルゾンを羽織ったのだが、そのサイズが大きすぎて、母には似合わない。
薄地のブルゾンは、○ョッピングチャンネルで、バーゲンということもあって、つい買っちゃったものらしい。
スプリングコート。
母に必要なのはそれだ、と思った。
スプリングコートって、使用時期や頻度の短いアイテムのため、必ずしも持つ必要は、ないらしい。
しかし、アウターの選択肢にジャケットがなくなった母の場合には、必要アイテムだ。
コートなら、ジャケットより、しめつけ感もない。
そこで母とともに、さっそく買い物にくりだす手もあったが、母は百貨店の売り場の喧騒もすっかり苦手になっている。
だから、テレビで流れる○ョッピングチャンネルで、ついサイズが合うかどうかわからない服を買ってしまったりするんだよなあ。
母の試着なしで、見繕って贈るしかないな、母の日にスプリングコートを贈ろう、と決意。
続く。