ジュエリーの意味

前記事のつづき。
注目、注視に関連するグッズ。
それはジュエリー。
ジュエリーは、若いうちに身につけるものではなく、年齢を経てから身につけるもの、とされる。
きらめくジュエリーで、耳元や首元や指を飾る、年齢を経た女性がいたとして。
その女性にとって、ジュエリーはどのような効果をもたらすのか?
視線の行く先、注目の的先を操作できるのだ。
ジュエリーに視線を逸らすことができる。
自分の手や指より、指にきらめく大粒ジュエリーに、注目、注視させることができるから。
(女性にとってはジュエリーだけど、男性にとってはそれが腕時計にあたるのかもしれない。)
それを聞いたとき、それってなんか微妙だな・・・と感じたのだった。
自分から目を逸らさせるために、ジュエリーをつけるの?
そういえば、先日NHKで、林真理子と建築家隈研吾の対談番組があって、そこに一瞬登場した林真理子の知人女性は、おそらく60代だと思うけれど、首にしっとりと輝く、高価そうな二色パールのネックレスに目が釘付けになった。
なので、その女性に関して私に強烈に残ったイメージは、高価そうなネックレスだった。
この女性はそれを身に着けるだけの財力をもった人物なんだろうな、と思った。
考えてみると、ネックレスがなければ、その人に注目することもなく、ほんの一瞬だけテレビ画面に登場したその人自体、私の記憶に残らなかった可能性がある。
通常、有名人であればとにかく、一瞬だけテレビ画面に登場する一般人は、その人がよほど印象的な容姿をもっていない限り、注目も記憶もしないはずだ。
となると、高価なジュエリーは、その人自身のイメージよりジュエリーのイメージが優勢になってしまうにしても、その人の存在自体に注目させ、記憶させることができる力を持つんだ。
服、髪型、ジュエリー、腕時計、バッグ、靴。どれも、「装飾」に関して、なんらかの注目要素となる。
注目されるのが幸せな気質の人間は、これらの注目要素を盛ることを好むような気がする。
私はしばらく前から、何を着ていたのか記憶に残らないような着方をしたいな、と思っているが、そんな考え、注目されること自体が嬉しいタイプには、ありえないんだろうな。
あ、でも。
頼むから注目しないでくれ、と望む私のようなタイプの人間が使える、注目要素の一部利用の仕方もあるような気がしてきた。
つづく。