林真理子が好きになる 追記2

前記事のつづき。
林真理子に関して、気がついたことの、ふたつめ。
以前の記事でも引用した「野心のすすめ」内のセンテンス。
「「エッセイとは、つまるところ、自慢話である」とはしばしば言われることですが、小説よりもエッセイのほうが、物書きは嘘を吐くと私は断言します。
いくら本音を売りにしたエッセイであっても、小説のほうが、遥かに正直な自分が出てしまう。私小説でもなく、たとえそれが伝記小説であっても。」
昨日書店で、最近文庫化された、林真理子のエッセイ集を見かける。
そういえば、私、林真理子のエッセイは、雑誌に掲載されているものを単発に読むことはあっても、まとまったかたちで読んだことってないな、と気がついた。
小説は、三冊ほど読んだことがあるが、主人公の中に、自分より恵まれた美点を持つ女に対する妬み、羨みが、根底にしとしと流れているような印象があって、
林真理子自身に、そういう感情が秘められているのかなあ、なんて思って、あまり好きになれなかったのだ。
たしかに小説は、作者の心底にある、なんらかの感情をさらけだしてしまうものなのかも。
いわば心の「陰」の部分を、露にするものなのかもしれない。
では、エッセイは?と、文庫本「いいんだか悪いんだか」を購入して、読んでみた。
昨夕読みはじめて、寝る前まで読んでいたんだけれど。
意外な効果があることに気がついたのが、今朝の起床時。
ここ数日間、あまり熟睡できなかったのが、昨夜はぐっすり眠れたのである。
それまで熟睡できなかった理由。
実は先週、内容・文章ともに秀逸なノンフィクションの力作を読んだのだが、題材が暗くて悲惨なため、内容も暗鬱で、壮絶なエピソードもあって、
しかもこれが、フィクションじゃなくてノンフィクションであるという事実が、よけいに重くって。
この書の与えた暗鬱なショックが、自分の心身からなかなか抜けきれなかったみたいなのだ。
林真理子のエッセイは、基本、内容が明るい。
景気もいい。
「陽」の力がある。
私の心身に対して、とても「健康的」なものだったみたい。
それを、雑誌掲載時に1本だけ読むのではなく、何十本もまとめて読んだときの、効果の大きさ。
「エッセイのほうが、物書きは嘘を吐く」
なるほどね。
たぶん、エッセイは、林真理子の「陽」の部分を材料にして、書かれたものだ。
読者に「陽」な味を提供するために、自分の日々の生活の中から、陽のエピソードをぎゅっととりだして、サービス精神をもこめて綴られたのが、林真理子のエッセイなのかも。、
自分の中の「陰」を封じて「陽」だけをとりだすという操作が可能なのは、エッセイだからこそ。
小説だと、操作不能になる危険をはらむのだろう。
とりあえず、「陽」な読み物は、健康的だ。
陰モードになっていた私の心身には、とても良い効果を及ぼしたらしい。
川上未映子のエッセイは好きだが、ここまでの「陽」効果はない。
爆笑もののエピソードを綴っているはずなのに、透明感と静謐感が抜けないのが、不思議な魅力ではあるが。
林真理子のエッセイにある、明るいたくましさ、明るいいじましさ、はない。
決めた。
これからは自分の心身が陰寄りなモードに陥ったら、林真理子の「エッセイ集」を読んでみることにしよう。